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2007年6月30日 (土)

ディナモ、チャンピオンズ・リーグへの道

29日、フランスのニヨンでチャンピオンズ・リーグ予備戦1回戦と2回戦の抽選会が行われました。
クロアチアのクラブはここ数年、欧州で失態を繰り返してランキングが25位まで落ちたことと、アンドラ、サンマリノ、モンテネグロのクラブが今季から加わったため、昨季優勝チームのディナモ・ザグレブは1回戦スタート。1回戦の対戦相手はアゼルバイジャンのハザール・レンコランに決まりました。
ハザール・レンコランは1975年創立のクラブで、一度は消滅したものの3年前に復活。造船会社「パルマリ」のマンシモフ社長がオーナーとなり、昨季のアゼルバイジャン・リーグを制しました。これまでディナモ・ザグレブが欧州で対戦するチームでは最も辺境といえる場所で、サポーターのBBBがどうやって行くかが気になるところです。

このハザール・レンコランを問題なく退ければ、2回戦でもシード扱いのディナモ・ザグレブの相手はスロベニアのドムジャレかアルバニアのティラナ。スロベニア・リーグ昨季の王者ドムジャレは、先日にハイドゥク・スプリトとの練習試合で2-0と勝利しており、ディナモのイヴァンコヴィッチ監督も抽選会前から「ドムジャレは最もやり難い相手」と警戒していました。抽選結果を聞いたイヴァンコヴィッチ監督は
「チャンピオンズリーグ予備戦の一回戦・二回戦のおいて、私たちが優勢であることにジレンマはない。ドムジャレとティラナは多額のお金をチームに投資しているとはいえ、二つのハードルを飛び越える必要があるだろう。ティラナは昨年、ヴァルテクスを下している事実が、私たちに注意を促している。とはいえ、ディナモの方がクオリティがずっと高いはず。抽選結果を悔やむことはできないし、また誰に対しても過小評価することは許されない。最大限の準備をして、高いモチベーションでプレーしようと思う。」
とコメントしています。1回戦の初戦はアウェーで7月17日or18日、第2戦はホームで7月24日or25日に開催。また2回戦の初戦はアウェーで7月31日or8月1日、第2戦はホームで8月7日or8日に開催されます。

またUEFAカップの予備戦の抽選会も行われています。
昨季2位のハイドゥク・スプリトはモンテネグロからブドゥチノスト・ポドゴリツァと対戦。またクロアチア・カップ準優勝のスラヴェン・ベルーポはアルバニアのテウタと対戦します。
第1戦は7月19日、第2戦は8月2日に開催されます。

28日、クロアチア代表DFイゴール・トゥドール(29)が、ハイドゥク・スプリトと1年+1年オプション契約を結びました。まだ足首の状態が完全ではないトゥドールは、健康面次第で給与が変わる契約を結んでおります。29日からドイツでの合宿に参加し、リハビリの特別プログラムをこなすことになっています。
またハイドゥクは元オーストラリア代表DFトニー・ポポヴィッチ(34)と交渉しており、DF陣が手薄なだけに彼の加入が見込まれております。

同じく28日、代表FWイヴァン・クラスニッチ(27)がヴェルダー・ブレーメンと1年契約を結びました。この夏にヴェルダーとの契約の切れるクラスニッチは他のビッグクラブへの移籍が見込まれていましたが、ご存知のように腎臓疾患が発覚。一度は失敗したとはいえ、腎臓移植手術を終えました。
その間にヴェルダーはクラスニッチに同じ条件で契約延長を申し出ていたものの、書面でもらえなかったことにクラスニッチは不信感を抱き、両者間は一度はこじれかけましたが、双方が歩み寄り、今回の契約に至りました。
術後の経過は良好で、3ヶ月間のリハビリを順調にこなしているクラスニッチは
「私の目標はシーズン始まりに合わせてフィットさせることだが、何も急ぐことはない。もしかしたら第5節にプレーできるかもしれないし、もしかしたらウィンターブレーク明けになるかもしれない。大事なのはちゃんとプレーすることだ。」
と語っています。現時点では最高血圧が135を超える運動が許されておらず、また腎臓が正しい位置にきてないため、本格的な練習にはまだ時間が掛かりそうです。

ヴァルテクスのキャプテンである守備的MFニコラ・シャファリッチ(26)がリエカに移籍。28日に2年契約を結びました。ヴァルテクスが出し渋ったことで交渉が難航しましたが、前ヴァルテクス監督でもあるダリッチ・リエカ新監督の念願がようやく叶ったことになります。
また同日にリエカは今季トップ下として期待しているアナス・シャルビーニ(20)との契約得院長も終えました。一時は兄のFWアフマド・シャルビーニ(昨季21得点、先月にUAEのアル・ワドハに移籍)と同じく移籍をちらつかせましたが、あと一年間契約しているリエカ側がチーム内で干すことをほのめかしたことで、契約延長を無理強いさせました。ちなみにシャルビーニは今季、チームのキャプテンを任させられることになっています。

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2007年6月28日 (木)

クラニチャール、UAEのクラブ監督に就任

Scico 前クロアチア代表監督ズラトコ・クラニチャール(写真)が、アラブ首長国連邦のドバイに本拠地を置くクラブ、アル・シャーブと1年+1年オプションの契約を結び、28日、お披露目会見のためにドバイへと渡りました。
「条件には非常に満足している。もし満足しないのならば、オファーを引き受けることなどしないだろう。」
とコメント。クラニチャールは改めて7月20日の準備開始に合わせてドバイに渡り、ヨーロッパでキャンプを張ったのち、9月17日のアラブ・リーグカップから采配を振るうことになります。アシスタントとして誰を連れてくるか、またクロアチア選手を補強するかどうかは未定。クラニチャールにとってアラブ諸国のクラブを率いるのは、エジプトのエル・マスリーに続いて二度目となります。

クロアチア代表GKヴェドラン・ルニェ(31)が、ベジクタシュから移籍金100万ユーロでランスに移籍しました。契約は3年間。ベジクタシュは既にGKとしてトルコ代表のリシュトゥを補強しており、ルニェは移籍を希望しておりました。ルニェは2001~2004年までマルセイユに在籍していたこともあり、3年ぶりのディビジョン・アン復帰となります。

リエカとディナモ・ザグレブを経たのち、2005年からブンデス二部のグレウサー・フルースでプレーしていたDFアンドレ・ミヤトヴィッチ(27)が、ブンデス一部のアルミニア・ビーレフェルトに移籍しました。移籍金は70万ユーロとされています。

Sdidulica 27日、元クロアチア代表GKジョエイ・ディドゥリッツァ(29・写真)が、2005年5月26日の「オーストリア・ウィーンvs.ラピッド・ウィーン」戦でFWアクセル・ラワリーと交錯した際に、ディドゥリッツァは足が顔面に入ってしまった事件に関しての裁判がウィーンで行われ、裁判官は足が入ったことを故意とは認めず、傷害罪として起訴されていたディドゥリッツァは晴れて無罪となりました。裁判のあと、オーストリア・ウィーンのサポーターと祝ったディドゥリッツァは
「ようやく重荷を自分から外せるよ。まるでチャンピオンズリーグで優勝したような気分だ。不愉快であったが、不必要な裁判のためにアルクマール(現所属)から飛んできた。ラピッドの選手が怪我したのは残念だけど、私は彼を怪我させたかったわけではないのだから。」
とコメントをしています。
ちなみにディドゥリッツァは昨季のオランダ・リーグでPSVのMFチュリーナと衝突した際の脳震盪が未だに完全に癒えておらず、復帰の時期が見えておりません。
あと、ディドゥリッツァとオーストリア・ウィーン時代にチームメートだった元代表DFマリオ・トキッチ(31)が、契約を終えたこの夏にライバルのラピッド・ウィーンに移籍しております

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2007年6月26日 (火)

ラキティッチ、クロアチア代表を選択

生まれ故郷であるスイスのA代表か、両親の祖国であるクロアチアのA代表かの選択で揺れていたMFイヴァン・ラキティッチ(19)が、23日、クロアチアA代表を選択することを明らかにしました。
昨季のバーゼルでは攻撃的MFのレギュラーとして活躍し、前日にシャルケ04と4年契約(移籍金300~500万ユーロ)を結んだばかりのラキティッチは、スイス代表監督のヤコブ・クーンとクロアチア代表監督のスラヴェン・ビリッチのそれぞれに連絡を入れ、自分の意思を伝えました。ラキティッチはクロアチア紙のインタビューにおいて
「ビリッチは私を計算に入れていると繰り返して言ってくれた。しかし、僕をいつ代表チームに加えるかは分からないし、8月22日の親善試合・対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で代表選出されるかも分からない。選出されたいけどね。細かいことはもちろんのこと、監督が説明することだろう。
クーン監督には怒ってもらいたくはないよ。僕がスイス代表を選ぶことを期待していただけに、失望しているのは間違いないだろうが……。けれども、僕の心がこのように決定を下したのだよ。とりわけ、僕の両親や家族、親戚たちが今はハッピーだね。クロアチア代表になれることは誇りに持っているし、赤白チェックのユニフォームに初めて袖を通すことに今は待ち通しくしているよ。」
とコメントしています。
一方、ビリッチ監督は
「私は満足だけに終わらず、彼がクロアチア代表を選んだことを誇りに思っている。ラキティッチは素晴らしい若手選手であり、本物のポテンシャルを持っているので、大きな補強となるだろう。もろちん彼にはチャンスを与えるが、チャンス以外は何も約束できない。でもチャンスは一度だけではないよ。もしそこでアピールしたならば、ラキティッチは代表メンバーとなるだろう。全てはラキティッチの手中にあるのだよ。彼は現代的なMFだし、中盤ならばどのポジションもプレーし、競争もできる。私たちが採用しているフォーメーションが4-4-2だろうが、4-3-3だろうかは関係なくね。」
と語っています。

コヴァチ兄弟(写真)のクロアチア・リーグ行きの話が相次いで破綻してしまっています。
Skovaci_1 弟のDFロベルト・コヴァチ(32)はディナモ・ザグレブと3年契約、税抜き600万ユーロという年俸で合意に至っていました。しかし、18日になりコヴァチ側が別の弁護士を雇い、契約の変更を要求。その中で、2年目以降の年俸に関する銀行保証を要求しました(1年目の給与は金銭の出所を証明済)。
ディナモは残りの金額を保証するような抵当がないため、銀行からの保証が受けられず、副会長とスポーツ・ディレクターのマミッチ兄弟個人の財産(5000万ユーロ)を元に金銭を保証することを提案。しかし、これをコヴァチ側が拒否したため、話が流れてしまいました。
もちろんのこと、マミッチ副会長は失望と共に怒りを見せており、
「コヴァチは私たちのオファーを蹴る理由など一つもなかったと思う。彼にとっては、"ここでは全てが汚い"と説明するような老女の話の方が大事なのだろう。クロアチアの組織に対しての不信感を示した上に、マミッチ兄弟への不信感を示したのだ。友情など関係なく、また仲人という間柄(ゾラン・マミッチがコヴァチの仲人)も関係なくね。」
と語っています。
コヴァチのディナモ移籍が暗礁に乗り上げたことを聞きつけたボルシア・ドルトムントは、19日にコヴァチ側と2年契約で合意に至り、その日のうちにサインをしました。
「全てが終わった後で何を言うのだね? 自分のキャリアの続きが全て晴れたことは嬉しいよ。
私の側からはディナモに何も怒りはないし、合意しようと努めたものの上手くいかなった。ディナモとの間にも、マミッチ兄弟の間にも不和はない。ディナモは支払い義務を満たすための銀行保証を示してくれなかった、それだけのことだ。保証に関していえば、西の世界ならば当たり前のように私は要求してきたものだ。」
とコヴァチはコメントしています。

また兄のMFニコ・コヴァチ(35)もハイドゥク・スプリトの移籍を断念しています。条件は3年契約500万ユーロとも言われ、コヴァチも移籍を希望したものの、もう一年契約を残すレッドブル・ザルツブルク側が放出を認めませんでした。
「スポーツ・ディレクターのクレウゼールと監督のトラパットーニと話し合ったものの、放出を認めることはしなかった。私ができることは、自分の契約を最後までまっとうするだけだよ。私はプロフェッショナルだし、言われたことは全て受け入れて、最高の形で義務を遂行せねばならない。
チームは私が祖国でプレーしたいと願望は理解してくれ、尊重はしてくれたけど、私はチームに欠かせない存在だし、私の代わりを探すことはできないと言ってくれた。移籍のアイデアが実現できなかったことは残念だし、ハイドゥクの選手になれなかったことも残念だ。」
とコヴァチはコメントしています。

セリエAで活躍するFWサーシャ・ビエラノヴィッチ(28)がトリノと3年契約を結びました。昨季にプレーしたアスコリはセリエBに降格、トリノはアスコリから所有権の50%を150万ユーロで購入し、一年後に全ての所有権を買い取る権利がついているとのこと。年俸は税抜きで50万ユーロほどとされています。2002年にヴァルテクスからコモに移籍して以来、キエーボ、ペルージャ、ジェノア、レッチェ、ジェノア、アスコリと渡り、早くもトリノがイタリアにおける7チーム目となります。

ハイドゥク・スプリトはハンガリーを代表するMFクリスティアン・リツテシュ(31)をテストすることになりました。昨季はボルシア・メルヘングランドバッハに所属していたリツテシュは、膝の怪我で一年間を棒に振り、新たな移籍先としてハイドゥクに売り込んできました。既に合宿地のスロベニアに合流しており、戦力になるかを見極めるそうです。

23日、インタートトカップ一回戦が行われ、ザグレブがホームでアルバニアのヴラズニアを迎えました。ブラジェヴィッチ監督率いるザグレブは昨季のクロアチア・リーグ3位。今季は欧州を視野に入れ、国外移籍を希望してストライキ状態のMFブルクリャチァを除けば、誰一人も放出しませんでした。
Snadarevic_i_labudovic_1 しかし、格下のはずのヴラズニアに対して3分、左CKをエリア内で繋がれ、ファーポストにフリーで立っていたノラがシュートを決めて、いきなり先制されてしまいます。
ザグレブは個々のタレントで上回るものの、ミスパスが目立ち、攻撃が満足に組み立てられない中、19分にムイジャの右CKからナダレヴィッチ(写真右)がヘディングシュートを決めて同点に追いつきます。
後半に入り、54分にイヴリチッチが右サイドから理想的なアーリーを入れるものの、ロヴレクがシュートを決められず。しかし63分、ペイッチの左CKをマンジュキッチが折り返し、ラブドヴィッチ(写真左)がボレーを叩き込んで逆転に成功します。試合はそれぞれに退場者を出し(ザグレブ側はロヴレク)、そのまま2-1で終了。ディフェンダー2人のセットプレーによるゴールで何とか1点のアドバンテージを持ったまま、翌週のアウェーの試合に挑みます。

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2007年6月19日 (火)

チーム改革に走るハイドゥクとリエカ

2シーズン連続でディナモの後塵に拝するハイドゥク・スプリトが、補強に躍起になっています。

Sbusic_3 一度は獲得を断念したかに思われたディナモ・キエフのMFフローリン・チェルナト(27)ですが、キエフ入りしたハイドゥクの代表団がFWトミスラフ・ブシッチ(21・写真)との一年間の交換トレードをまとめました。
チェルナトはルーマニア代表の創造性豊かなMFですが、現在のディナモ・キエフにおいては出場機会になかなか恵まれませんでした。中盤の構成力とパッサーに欠けるハイドゥクにとっては欲しい選手でありました。
一方、ブシッチはクロアチアU-21代表のレギュラーでもあり、怪我がちとはいえ、昨季は22試合で11得点を決めていた逸材。これまでの年俸が2万ユーロだったのが、ディナモ・キエフに行くことで31万ユーロまで跳ね上がりそうです。キエフにレンタルで渡る前に、ハイドゥクはブシッチと新たな3年契約を結ぶ予定で、そこで移籍金を150万ユーロとする設定を盛り込むようです。
ハイドゥクは先日、FWニキツァ・イェラヴィッチ(21)をベルギーのズルテ・ヴァレゲムに売却したばかりで、ヘディングに強いFWを続けて放出することになります。これは同時にプレースタイルの改革を意味しており、ツートップにはアンテ・ルカビナ(21)とレンタルから戻ったニコラ・カリニッチ(19)という俊足選手を置き、更にサイドもできるムラデン・バルトゥロヴィッチの3人でやり繰りすることになります。

またハイドゥクは新たに2人のMFと契約を結んでいます。
Sandric_2 クロアチア代表歴もあるスルヂャン・アンドリッチ(27・写真)はパナシナイコスとの契約を破棄し、ハイドゥクと3年契約を結びました。2003/04シーズンはキャプテンとしてハイドゥクの優勝に貢献したアンドリッチにとって、3年ぶりのハイドゥク復帰となります。
またリエカとの契約が切れたMFシニーシャ・リニッチ(25)もハイドゥクと3年契約を結んでいます。二人とも守備的MFとしての計算ができる選手であり、獲得が難航しているとはいえニコ・コヴァチが加入すれば、中盤のポジション争いが激化することになります。
また新たなGKとしてメヂュムリエのヴィエコスラフ・トミッチ(24)を獲得。昨季にゴールを守ったヴラジミール・バリッチが高齢化、ズラトコ・ルニェが戦力外(ヴァルテクスへ)となったことで、彼が来季のハイドゥクのゴールを守ることになります。

Sdalovic_1 ハイドゥク同様にチーム改革を推し進めるリエカですが、モンテネグロのFWラドミール・ヂャロヴィッチ(24・写真)と契約に合意しました。
ヂャロヴィッチは2002年から3年間、NKザグレブで在籍し、サポーターに愛された闘争心溢れる選手で、その後はアルミニア・ビーレフェルト(ドイツ)、エルチィエスポール(トルコ)でプレーしました。
またヴァルテクスの司令塔で、キャプテンであるMFニコラ・シャファリッチ(26)のリエカ移籍も秒読みとされています。この移籍は昨季までヴァルテクスの監督を務めていたダリッチ新監督の強い希望もあり、国外からのオファーが実現しない限りはリエカに移籍となりそうです。

12日、クロアチア一部リーグ協会の会長選が行われ、ハイドゥクの代表を務めるイゴール・シュティマッツが新たな会長に就任しました。
今季まではディナモのダミール・ヴルバノヴィッチ氏が会長を務め、今回の会長選にも出馬していたものの、リーグ改革を希望する他のクラブの支援を得たシュティマッツが、12クラブ中8クラブの票を得て選出されました(3票がヴルバノヴィッチ、1票が棄権)。
シュティマッツはクロアチア・サッカー協会の幹部と対立関係にあり、今後は独自にリーグ改革が推し進められる可能性が出ています。

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2007年6月12日 (火)

オシム手記「日本人よ!」

S この場で一つ宣伝させてもらいます。

6月29日、私が訳者として関わったイビチャ・オシムの手記「日本人よ!」が新潮社から発売されます。定価は1200円、192ページです。
制作までには様々な経緯を経ただけに、思い入れのある本であります。
書店で手にとって頂ければ嬉しい思います。

「サッカーとは、人生である。人生で起こることは、すべてサッカーでも起こり、両者ともいつ何が起こるかわからないからだ――。いま、そしてこれからの日本サッカーのことはもちろん、自らの人生観と日本人観をも真摯に綴った、著者初の独占手記。」
~新潮社サイトより

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2007年6月11日 (月)

ヴァスティッチのインタビュー

私もカメラマンとして所属しているクロアチアの総合スポーツサイト「Sport-net」で、元名古屋グランパスで現ラスク・リンツ(オーストリア)のFWイヴィツァ・ヴァスティッチのインタビューが掲載されています。
http://www.sportnet.hr/index.aspx?page=news&id=346200
ファンにも関心がある内容だと思うので、翻訳してみました。

Svastic -貴方はユーゴビニール(現ゴシュク・アドリアック)でサッカーを始めた。
「それは昔のことだね。美しい時代であり、美しいスタートだった。まず最初は、自宅に近い競技場や教会の辺りでプレーを始めたんだけどね。少し経って、12歳からトレーニングを始めたんだ。」

-その2年後、NKスプリトでプレーした。どのコーチから最も学んだ?
「ミレ・ヴィヂャク、ミラルドヴィッチ、フラネ・オビリノヴィッチが私のコーチだった。彼からは私の成長に大きく貢献したね。けれども、ユーゴビニールの少年の部で教えていたミラ・ガムリンの名前も挙げねばならない。彼は私たちをしっかり鍛えてくれ、多くの愛と時間を込めてくれた。だから、彼には同じように感謝しているよ。私をよく鍛えてくれたイヴィツァ・ラコヴもそうだし、直ぐに私に気づいてユースからトップチームへ上げてくれたペロ・バコティッチもそうだ。期待していたよりも少し早く、物事は進んでいったんだ。」

-1991年、20歳で国外に渡った。最初のクラブはFCウィーンだった。
「その頃は既に1年間、(戦争のため)リーグが機能してなかった。トレーニングだけをしており、それが私を苦しめていたのだよ。常に私はサッカーをプレーしたかったし、競争をしたかった。ここではその可能性がなかったので、国外に渡って挑戦することに決めた。ウィーンのマテ・プラジバタ氏を通して、国外のチームへ渡るオプションがあった。私がテストに来ることを助けてくれたんだ。最初の週で直ぐにチームを満足させ、そこで一年間留まったのだよ。」

-オーストリアでは更に小さな二つのクラブでもプレーした。
「サン・ポルテンでは18ゴールでリーグ2位のスコアラーとなり、注目を浴びることになった。それから翌年、アドミーラに移籍した。アドミーラはUEFAカップを戦うこともあって、私にとっても欧州の舞台でプレーすることに興味があった。UEFAカップでプレーし、優れた相手、最高の相手に自分の力を図ることは挑戦だったのさ。自分がどこに位置するのかを見ること-それは常に私にとって挑戦だった。
そこで半年良いプレーをすると、ドイツのデュイスブルクが私を欲してきた。それから半年、デュイスブルクへ渡った。しかし、ドイツでは多くの不幸があった。怪我をしたまま移籍したので、シーズン前の準備期間を完全にこなせなかった。それでも時間と共に少し安定してきて、レギュラーとなった。その後はもうチームに残りたくなかったので、オーストリアに戻ったのだよ。」

-オーストリアではシュトゥルムと契約をし、そこで丸8年在籍した。250試合で124ゴールを決めた。
「移籍は1994年のことだった。あらゆる早い変化ののち、そこで私は落ち着いたのだよ。様々なことが1年間で続いたのち、私はシュトゥルムにやって来て、8年間もいることになった。私のキャリアで最高の時代だったよ。2度リーグ王者となり、3度カップを制し、3度チャンピオンズ・リーグでプレーした。3度目のチャンピオンズ・リーグではセカンドステージに入り、ヨーロッパのベスト16に入った。私たちにとっては代表におけるワールドカップ出場と並んで、クラブレベルで最大の成功の一つだったよ。」

-クラブでの成功以外にも貴方は個人的に褒章を受けた。3度に渡ってオーストリアリーグの最優秀選手に選ばれ(1995年、1998年、1999年)、2度に渡って得点王となった(1996年、2000年)。
「その全ての成功において、私には最高の監督、イヴィツァ・オシムがいたという幸運があったのさ。私に向くようなプレースタイルをオシムは探した。チームは最高だったよ。常に誰かが飛び越えていくようなスタイルは、私に最も向いていた。創造性も充分にあったし、即興も充分にあった。私が知っていること、私が可能なことを見せ、自分の最大限の力を発揮するためのスペースが充分にあったのさ。素晴らしい選手たちがいたとはいえ、全てにおいて私が少し目立っていた。」

-素晴らしいプレーが無視されることなく、1996年にはオーストリア国籍を取得した。
「既に何年間もオーストリアで良いプレーをしていた。5年間オーストリアに滞在するやいなや、連絡が来たんだ。私との間で話合いが持たれ、オーストリア国籍を取得して、代表に呼ばれたいかを聞いてきた。オーストリアに慣れただけに、時期的にも私にはOKだった。オーストリアで私は選手として成長したし、自分が知っているものを披露する可能性をオーストリアが私に与えてくれた。チャンスを与えてくれた彼らへの感謝の気持ちから、私はオーストリア代表でプレーすることを決めたのだよ。」

-オーストリア代表では46試合プレーし、12ゴールを決めた。1998年のワールドカップ・フランス大会にも出場した。クロアチアのためにプレーしなかったことに後悔はないのか?
「後悔はないよ。なぜなら、その時は既にオーストリア代表でプレーすることを決心していただから。クロアチアのためか、オーストリアのためか、とその時は考えたけど、クロアチアからは決して声が掛からなかった。私を最初に呼んでくれた代表のためにプレーし、その招集に応えるつもりだ、と私は言ったんだよ。オーストリアからの招集が早かったし、彼らの代表招集に私は応えた。なぜなら、私がどのようなプレーをしているかを彼らは分かっているし、もし良いプレーをしたら私を呼び、もし良いプレーをしてなかったら私を呼ばないものだと考えていたからね。その決定に関しては、完全にオーストリア側にあったよ。」

Svastic2 -2002年に貴方は日本(名古屋グランパス)に渡った。どのような経験をもたらしたか?
「経験は何層にも渡った良いものだ。選手経験だけではなく、人生経験という点でね。私だけではなく、むしろ家族や子供たちにとっても良い経験だった。子供たちにはとってもタメになったよ。英語を学んだし、新しい何かを見ることになった。少し視野が広がったんじゃないかな。
日本へ渡ったことは私にとっても嬉しいものだ。望むほどの素晴らしいインフラや組織ぶりを日本で見ることができた。すると、クロアチアとサッカーに投資する他の国々の差に気づくものだ。一方では、それが全てではないということも目にする。想像できるだろうが、ここ(クロアチア)には枯渇することのないタレントやサッカー選手の源泉がある。もう少しコンテンツやインフラ、優秀な監督が伴ったならば、更に多くの優秀な選手たちがいるのでは、と私は思うよ。」

-日本へ渡ると共に、貴方の代表のキャリアも終わりを迎えた。しかし、現在のオーストリア代表はFWに問題を抱えている。サポーターは貴方が代表に戻ることに賛成をしているが、ヨセフ・ヒッケルスベルガー監督は全く同意していない。まだ常に代表でのプレーへの意欲を持っているのか?
「間違いなく関心は持っているよ。オーストリアとスイスで開催される欧州選手権だけにね。地元の雰囲気に包まれながらプレーをする。欧州選手権出場は私にとっても本当に関心がある。まだ私は欧州選手権でプレーをしてないし、それは一つの挑戦と言えるね。ワールドカップではプレーをしたが、今回はオーストリアにとっても初めての欧州選手権だ。私がプレーするラスク・リンツは一部リーグに戻ってきた。これから自分が活躍することで、監督は私を代表に招集できるかどうかに関心を持っているよ。
しかし、少し議論の余地はある。なぜなら、オーストリア代表は世代交替を決断し、2年以上、欧州選手権に向けての基盤を築いてきた。2008年に主力となるような若い選手たちを多く代表に入れることに決めたのだ。ところが、その変化は少しラディカルであり、経験ある選手を持つことなく、若い選手ばかりになってしまった。彼らはクオリティある選手だが、2~3人の経験ある選手たちがチームに加わることは間違いなく歓迎すべきことだと私は思っているよ。」

-1年間の日本でエピソードののち、再びオーストリアに戻ってきた。今度はオーストリア・ウィーンで2年間プレーした。
「それは日本から戻った頃だ。オーストリア・ウィーンは私をチームに引き入れることを希望し、私にとってもそれは歓迎すべきことだった。とても良いチームだったよ。リーグでは2位となり、カップ戦では優勝した。期待されたようにリーグを制することはなかったとはいえ、私のキャリアにおいては良い時代の一つだったと言えるだろう。リーグ制覇できなかったのには別の理由があった。クラブ内では常に何かしらの闘争があったからね。状況は最善ではなかったのだよ。」

-2005年からオーストリアのブンデスリーガ(一部)への帰還を賭けて戦ったラスク・リンツでプレーしている。今季は20得点でチームとリーグで得点王となった。
「それも同じく私にとっては一つの挑戦だった。毎年、リーグ優勝の本命として戦ったオーストリア・ウィーンから、二部リーグのクラブへと渡ることは、オーストリアのサッカーファンやサポーターにとっては、かなり懐疑的に思われてしまった。なぜ今でも私が働くのか、とりわけ、なぜこの年齢で、とね。彼ら全員が私がサッカーをやめ、身を引くものだと思っていた。けれども、ラスクの会長と私は一つのビジョンを持っていたのだよ。会長は一部リーグに戻るというビジョンを私に伝え、私はそのビジョンが気に入った。ラスクは伝統あるクラブだが、7年前に二部リーグ落ちて以来、どうやっても戻ることができなかった。大きなポテンシャルがあり、素晴らしいスタジアム、良いインフラを持っているクラブだ。それを少し整理して、結果的に修正する必要があった。今季は最高の形でそれを成し遂げることに成功した。今のリンツには幸福感があり、来季は一部リーグでも同じく良い役割を果たすことだろう。リーグ全体をリフレッシュさせるものだと思っている。それはプレー的な意味合いだけではなく、サポーター的な意味合いでもね。」

-貴方と共に二人のクロアチア人、マリオ・ミヤトヴィッチ、ダヴォリン・カブラル(元セレッソ)もラスクでプレーしている。来季にはシベニクのGKシルビオ・チャヴリナも加わる。
「雰囲気はいいよ。クロアチアの選手は非常に早く、簡単に適応するからね。祖国から遠くはないし、オーストリアのメンタリティが彼らにも合っている。常に試合に集中することができるし、自由な時間には常に祖国へと戻ることができる。だから、ノスタルジーが大きくがないんだ。シルビオ(チャヴリナ)も同じように心地良さを感じると思うよ。彼が家にいるかのように感じてくれるよう、全員が努力するつもりだ。仲間は本当に良いし、私たちのチームに適応する際に大きな問題を抱えることはないと思っているよ。」

-クロアチア・リーグの出来事は追っているか? あるいは、クロアチア・リーグとオーストリア・リーグを比較できるか? 例えば、最高のクラブ同士で。クロアチアのディナモとハイドゥク、そしてオーストリアのレッドブル・ザルツブルクとオーストリア・ウィーンとで。
「その比較は難しいよ。例えば、ディナモとザルツブルクが対戦したら興味深いだろうね。オーストリアとクロアチアを対比したら、幾らか状況は似ている。ディナモは現時点でクロアチア最高のチームだ。長きに渡って何もなく、各クラブが同等の状態で飛び出してきたレッドブル・ザルツブルクが現在、オーストリア最高のチームで、ディナモと共に上向きである。
クロアチアでは三つのグループに分けられる。ディナモが最高で、ハイドゥク、ザグレブ、更に良い仕事をしているヴァルテクスが続く。今はシベニクもそこに入るだろう。それから残りのクラブとなり、勝点差でかなり引き離される。オーストリアは二つのグループに分かれ、2位から最下位が全て同等だ。クロアチアよりもオーストリアの方が、リーグ下位の間で少し実力が似通っているだろう。」

-あとどれぐらいプレーするつもりか? どこでキャリアを終えるのか?
「それを語るのは難しいよ。先は決して分からないものだ。私がグラーツにいた時も、同じ質問をされたよ。当時はグラーツを離れるとは考えてもいなかった。その後、私は日本に渡り、そしてオーストリアに再び戻ってきた。今は2年間、リンツにいる。何かを計画しようにも、多くのことが起こるからね。」

-ハイドゥクでキャリアを終える可能性はあるか?
「難しいね。もう38歳だし。ハイドゥクでプレーしたいと夢見ることにもう意味はないと思っている。それに関しては終わった話だよ。しかし、先は決して分からないよ。選手として私が成功しなくとも、監督として今日か明日にでも成功しているかもしれないのだから。」

-現役引退後もサッカー界に留まるのか?
「サッカー界には留まるよ。今、まさにオーストリアの監督学校に通っており、全て計画通りに進めば、2008年にはA級ライセンスを取得する。それから先はどうなるか、だね。」

-貴方の二人の子供、トニとティンも貴方と同じ道を進んでいる。
「サッカーへの愛を彼らにも向けられたことに私は成功したんだ。同じように彼らも意思を持ってサッカーをプレーしている。私と一緒によくプレーしたものだよ。今は既にクラブに所属しており、ゆっくりと自分の道を進んでいるよ。私にとって重要なのは、彼らがサッカーを楽しんでくれることだ。何になるかどうかは、自分たちで決めることだろう。もし意思があるならばね。意思がサッカーにとって最重要なのだからね。」

-今日にはオーストリアに戻り、明日には新たなシーズンに向けて準備が始まる。ブンデスリーガでラスクはどれだけやれるか?
「二部リーグでは良いチームだったが、一部でも中位は維持できるものと思っている。一年目の目標は間違いなく一部に残留することだ。それから先をどうするか考えよう。発展に向けてシスティマティックに強化をすることだろう。一年ごとに私たちが更に発展するのを見ることになるだろうね。UEFAカップも目標になることだろうし、もしやこの先のシーズンはレッドブル・ザルツブルクに反逆することに成功するかもしれない。とてもとても難しいだろうが、それがクラブ内の全員の強い願望となるだろう。」

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2007年6月 9日 (土)

移籍情報

毎年オフは恒例でありますが、次々と移籍に関するニュースが入っているので紹介しましょう。

Spetric_1 バーゼルに所属するクロアチア代表FWムラデン・ペトリッチ(26・写真)が、前より噂のあったボルシア・ドルトムントに移籍が決定。8日に税込年俸150万ユーロ、移籍金400万ユーロで2011年夏までの契約を結びました。
ペトリッチは今年3月にバーゼルと契約を2010年まで更新したばかりですが、その際に一定の移籍金以上のオファー提示があった際は自由にチームを離れられるという条件を盛り込んでいました。ペトリッチにはシャフタール・ドネツク、ディナモ・キエフ、ヘルタ・ベルリン、スパルタク・モスクワ、グラスゴー・レンジャース、ウディネーゼといったクラブからオファーがあったものの、最終的に選んだのはドルトムントでした。
「自分がフォワードだとチームは分かってくれているし、最初はフレイ(スイス代表FW、臀部の怪我で復帰予定は9月)の代わりにプレーすることになる。それから3トップの一人か、トップ下としてプレーすることになるだろう。ブンデスリーガは僕にとって挑戦だし、攻撃的なサッカーをしている。ドイツ語も知っているし、直ぐに適応すると確信しているよ。」
とコメントしています。

Skovacr_1 クロアチア代表のディフェンスの要であるロベルト・コヴァチ(33・写真)が、ディナモ・ザグレブと3年契約を結ぶことに合意しました。昨季までユベントスでプレーしていたコヴァチは、移籍金なしでの移籍となります。
8日、ディナモの副会長ズドラヴコ・マミッチと、弟でスポーツ・ディレクターのゾラン・マミッチがトリノにてコヴァチと話合いを持ち、「話合いがまとまることに成功して、とりわけ嬉しく思う。ディナモに加わることになるだろう」とコヴァチはコメントしています。
ズドラヴコ・マミッチも「これは偉大な結果に向けての大きな一歩だ。ロベルト・コヴァチが加わることで、ディナモは新次元を必ず得ることとなる。最初の段階から友好的なトーンで話合いは進んだ。ロベルトよ、おめでとう。そしてディナモのサポーターたちよ、おめでとう。彼らはマクシミールの新たな英雄であり、これまでの英雄を得ることになったのだ。」と喜びを隠さずに語っています。
一方で、兄のニコ・コヴァチは、2008年まで契約の残るレッドブル・ザルツブルクが認めてくれるのならば、本人はハイドゥク・スプリトに移籍を希望していると報じられています。8日にハイドゥク首脳陣と昼食をとりながらの交渉を行い、既に本人は乗り気になっているとのこと。また、ハイドゥクはミラン・ラパイッチの復帰も現実味を帯びてきています。またディナモ・キエフのDFゴラン・サブリッチとルーマニア代表MFフローリン・チェルナトに関心も示していましたが、チェルナトに関しては移籍金の高さ(200万ドル)で断念しています。

クロアチアvs.ロシア戦を視察に来ていたシャフタール・ドネツクのアフメット会長とルチェスク監督が、この試合でマン・オブ・ザ・マッチの活躍をみせたモドリッチに対して、移籍金の上限にこだわらないオファーを出すと報じられています。シャフタールにとっては移籍金2000万ユーロであっても問題ないとまで言われていますが、ディナモのマミッチ副会長はモドリッチを売る気がさらさらなく、これまでエドゥアルドに来ていた1500万ユーロのオファーも断ったとされています。

ハイドゥク・スプリトのFWニキッツァ・イェラヴィッチ(21)が、移籍金50万ユーロ、年俸25万ユーロの3年+1年オプションの契約で、ベルギー一部リーグのズルテ・ヴァレゲムに移籍することになりました。
長身を活かしたヘディングを武器とするイェラヴィッチは、今季後半はハイドゥクのレギュラーを獲得。先月のクロアチア代表vs.インテル・ザプレシッチの練習試合でも、有望株の一人として代表のテストを受けておりました。ズルテ・ヴァレゲムは2001年に二つのクラブが合併してできたチームで、今季は14位に終わったものの、2006年にはベルギー・カップに優勝、今季のUEFAカップではベスト32まで勝ち進みました(ニューキャッスル相手に敗退)。

今季までヴァルテクス・ヴァラジディンの監督を務めていたズラトコ・ダリッチが、来季よりリエカの監督を務めることになりました。逆にリエカの監督だったヨシップ・クジェが、来季はヴァルテクスを指揮することが決まっています。
またエルビス・スコーリアが去ったスラヴェン・ベルーポには、クルノスラフ・ユルチッチが監督に就任しています。

リエカはシベニクのディフェンダー、イゴール・チャガリ(25)を獲得。ダリッチ新監督が熱望し、実現した移籍でありました。リエカは更にスロベニアのFWアレン・シュコーロ(26・グラーツァAK所属)と、ベフェーレン(ベルギー)に所属するFWイヴァン・ボジッチ(23)の獲得を進めています。

2009年に開催されるU-21欧州選手権スウェーデン大会の予選も始まっております。
ドラジェン・ラディッチ率いるクロアチアU-21代表は第1グループに所属し、イタリア、ギリシャ、アルバニア、アゼルバイジャン、フェロー諸島と同グループに入っています。
6月2日、ヴァラジディンで行われたフェロー諸島戦は精細を欠きながら、24分にルカビナ、90分にベゴヴィッチのゴールで2-0で辛勝。
6日にザプレシッチで行われたギリシャ戦では、ドイツ育ちのMFイヴォ・イリチェヴィッチ(ボーフム所属)が活躍。2分にギリシャに先制されるものの、その3分後にイリチェヴィッチがミドルシュートを決め、60分にはクケツのアシストでイリチェヴィッチが追加点。84分にはルカビナがスピードを活かして抜け、アシストを受けたブシッチが決め、最終的には3-2で勝利しています。予選は2008年9月まで行われる予定であります。

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2007年6月 8日 (金)

欧州選手権予選/ロシアとスコアレスドロー

6月6日、欧州選手権「クロアチアvs.ロシア」戦がマクシミール・スタディオンで行われました。首位クロアチアが、ヒディンクの下で若返りを図ると同時に調子を上げている2位ロシアを迎え撃つだけに、このカードは当日の予選の中でも最も注目を集める試合となりました。

タリンでのエストニア戦から2人が入れ替わります。バビッチが務めた左SBにシムニッチがスライドし、シミッチがセンターバックへ。またロシア・リーグでの経験を買われ、ペトリッチに代わってオリッチがスタメン起用されます。クロアチアのメンバーは以下のとおり(4-4-2)。
GKプレティコサ-(右から)DFチョルルカ、シミッチ、コヴァチ弟、シムニッチ-Mスルナ、コヴァチ兄、モドリッチ、クラニチャール-FWオリッチ、エドゥアルド
一方のロシアは、予想スタメンとは違ってブディアンスキをボランチに置く3-1-4-2の布陣を敷きました。
GKマラフェエフ-DF V.ベレズツキ、イグナシェヴィッチ、A.ベレズツキ-MFブディアンスキ-ビストロフ、アニュコフ、セムショフ、ジルコフ-FWアルシャヴィン、ケルジャコフ

Smodric_2 一対一と球際の強さに長けたクロアチアが押し込み、それに対してカウンターを狙うロシア。最も危険なケルジャコフはコヴァチ弟とシミッチでケアし、チョルルカがオーバーラップを試み、右サイドに厚みをかけて攻撃を仕掛けていきます。
とはいえ、右サイドのキーマンであるスルナが、ピッチで滑った際に左足の靭帯を伸ばしてしまい、わずか8分で交替。右サイドにはイェルコ・レコが入りましたが、彼も遜色のないプレーを見せました。中盤ではモドリッチ(写真)が巧みなボールコントロールでマーカーを次々とかわし、チャンスを演出。エストニア戦よりもずっと内容の濃い試合となります。
けれども、ロシアは最後の砦でボールをはね返し、ゴールだけが生まれません。10分、クラニチャールの右CKをシムニッチが更に右へとそらし、そこにコヴァチ兄とエドゥアルドが突っ込むも届かず。
17分にはモドリッチがミドルシュート、23分にはチョルルカの右クロスをエドゥアルドがトラップし、GKが前に出たところを浮かしてシュートを狙うも枠を外してしまいます。
先発起用されたオリッチは俊足と積極的なフォアチェックを活かし、チャンスの形が生まれそうになるも、いつもの一本調子で自らチャンスを潰していきました。エドゥアルドはハードなシーズンの疲れが見られ、また左サイドのクラニチャールもミスパスが目立ちました。
後半に入ってもクロアチアの優位は続きますが、ゴールが決まりません。49分、モドリッチが縦に放り込んだFKにチョルルカがヘディングシュート。しかし、ボールはポストを逸れます。
Sdudu2_4最大のチャンスは58分。縦へのボールにエドゥアルドがDFに競り勝ち、GKマラフェエフと一対一になりますが(写真)、左にかわして押し込むだけのところで背後からDFベレズツキがスライディングでクリア。その直後にもクラニチャールのフリーキックにシムニッチがヘディングシュートを試みますが、ボールはクロスバーを叩きます。
66分にクラニチャールを代えてペトリッチを投入。エドゥアルドが左MFへ移りますが、チーム全体に疲れが顕著に現れ、リズムも落ちていきます。
81分、ペトリッチが左サイドから強烈なシュートを放つものの、これもGKマラフェエフがセーブ。ヒディンク采配らしく、試合の最後に近づくにつれ、ロシアはより攻撃的になりましたが、攻撃を仕掛ける選手の枚数は少なく、またケルジャコフも既にベンチに下がってきたことために大きな決定機はなく、そのままスコアレスドローで終わりました。

試合後、クロアチアのスラヴェン・ビリッチ監督は
「私たちにとって、これまでで最も良い試合だったと思う。後半に決定機があったとはいえ、前半はずっと良かった。唯一欠けていたのはゴールを決めることだった。それ以外はこれまでで最高だったよ。この試合は私に希望を与え、私たちが正しい道にあるという信条を裏づけてくれた。ロシアは良いチームだが、主観的に見れば彼らは何も作れなかった。彼らが劣ったチームだとは言いたくないし、現に彼らは良いチームだが、今夜は私たちの方がずっと良かったし、勝利への欲望を見せた。選手たちに対しては何も批判はできない。全てにトライしたが、何とも行かなかった。」
とコメント。
またロシアのフース・ヒディンク監督は
「クロアチアはゲームを支配したが、多くのチャンスは作れなかった。余りにも私たちはリスペクトしすぎたと思うし、サッカーは前へとプレーすることを忘れてしまったよ。前半が終わった一人選手を交替し、後半の私たちは自信を更に持って、試合をコントロールし始めた。しかし、現実的になれば、コントロールしたところでも私たちは1~2度以上のチャンスを作ることはできなかった。クロアチアもまた、終盤ではイニシアティブを持てず、ゴールも決められなかった。結局のところ、私たちは満足できることだろう。なぜなら、ザグレブの地で、クロアチアのような非常に力強い相手に結果に到達するチームはわずかだからだ。」
と口にしています。

これでクロアチアは勝点17。一試合多いイスラエルも勝点17まで伸ばし、続いてロシアが勝点15で3位。ベッカムが復帰し、エストニアを3-0で一蹴したイングランドが勝点14で続きます。計算すれば、クロアチアはあと勝点10を取ると本大会に進出。ホームでのエストニア戦とイスラエル戦、アウェーでのアンドラ戦に勝利すれば、あとは11月のマケドニアかイングランドのアウェー戦で勝点1を取れば充分であります。また、イスラエルはロシア戦(ホーム)とイングランド戦(アウェー)を1試合ずつ残しており、またロシアとイングランドの直接対決は2試合残しています。油断はできませんが、クロアチアが最もグループリーグの突破に近い立場にいます。

(写真はSport-netより)

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2007年6月 3日 (日)

クロアチア、エストニアに辛勝

6月2日、欧州選手権予選「エストニアvs.クロアチア」が、エストニアの首都タリンのル・コック・アレーナで行われました。
エストニアは予選で5戦全敗、得点すらゼロという状況とはいえ、2002年ユーロ予選のホームでは0-0のドローという屈辱を味わった上、アウェーでも1-0で何とか勝利、という相性の悪い相手であります。予選のどの試合も鍵となるとはいえ、相手を過小評価して自滅という"シンドローム"を持つクロアチアにとっては重要な試合となりました。

それぞれ怪我のため100%の状態でないエドゥアルドとペトリッチのツートップがスタメン起用されます。クロアチアのメンバーは以下のとおり(4-4-2)。
GKプレティコサ-(右から)DFチョルルカ、コヴァチ弟、シムニッチ、バビッチ-Mスルナ、コヴァチ兄、モドリッチ、クラニチャール-FWエドゥアルド、ペトリッチ
一方のエストニアは以下のメンバー(4-4-1-1)です。
GKプーム-DFヤーゲル、ステパノフ、ピーロヤ、クルグロフ-MFコンサ、ドミトリイェフ、クラヴァン、リンドペレ-ヴァシリェフ-FWヴォスコボイニコフ

Sdudu_3 両サイドバックのチョルルカとバビッチを積極的に上がらせる攻撃的シフトを敷いたはずのクロアチアですが、自陣での強固なブロックで対抗するエストニア守備陣に苦戦します。サイドは封じられ、中盤は枚数をかけられてパスを遮断されたことで、攻め手を失います。またエストニアは絶対的なFWであるオペールではなく、小柄で俊足のヴォスコボイニコフをワントップで起用してのカウンターを仕掛け、戻りの遅いバビッチの左サイドを狙っていきます。
19分、クルグロフのクロスボールに対して、スパルタク・モスクワで不安定な守備を見せているプレティコサが危うい飛び出しをしますが、これは何とかクリアします。
21分、エドゥアルドからボールを受けたペトリッチがシュートしますが、わずかに左ポストを逸れていってしまいました。
苦しい中とはいえ、試合を決めたのはまたしてエドゥアルド(写真)でした。右のチョルルカから横パスを受けたクラニチャールは、トラップのコントロールに失敗しながら、ボールは前方のエドゥアルドに。エドゥアルドは反転しながら、GKプームの届かない右側にシュートを決め、貴重な先制点を奪います。
後半は48分にクラニチャール、52分にペトリッチがそれぞれチャンスを迎えるものの、ゴールは決められず。エストニアはテンポが落ちても、よく組織された守備でクロアチアを封じます。
試合が終わりに近づくにつれ、エストニアのプレッシャーが強くなり、80分、クラヴァンがコーナーキックからヘディングシュートを放ち、これはプレティコサが好セーブ。また83分にはヴァリシェフがゴール左隅にミドルシュートを放ちますが、これもプレティコサが好反応で逃れます。
何とか1点のリードを守りきり、クロアチアが1-0の勝利。勝点差2で首位をキープしつつ、天王山となる6月6日のロシア戦(ザグレブ)へと繋げることに成功しました。

Simgp0788 スラヴェン・ビリッチ監督は試合後、
「難しい試合だった。最小のアドバンテージを持って終盤に入った際、相手は生か死かの戦い方をしてきた。2度にわたってプレティコサが相手のチャンスを防いでくれたよ。そのプレーぶりに選手たちを祝福したい。最も大事なのは勝利したこと、勝点3を取ったことだ。しかし、良くない点が充分過ぎるほどあったことは言わねばならない。フレッシュさとアグレッシブさが私たちに欠けていたが、勝利には値したと思う。」
とコメントしています。

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ディナモ・ザグレブ二冠

ここのところ仕事などで忙しく、更新できずに申し訳ないです。遡ってニュースを振り返ります。

Ssunca 5月26日、クロアチア・カップ決勝第2戦「スラヴェン・ベルーポvs.ディナモ・ザグレブ」が行われました。
この試合に合わせて、スラヴェンの本拠地には照明塔が設置され、3200人収容のスタジアムも仮設スタンドをつけて5000人に拡張。チケットは直ぐにソールドアウトとなり、コプリニヴニッツァの町全体がお祭り騒ぎとなりました。
初戦はディナモがホームで1-0で勝利。スタメンの平均年齢が22.5歳と若いディナモに対し、スラヴェンは平均年齢29歳とベテランが中心のチームです。気鋭の若手監督であるエルビス・スコーリアは、一昨シーズンにリエカでカップ戦優勝、その一年前には2部ウリャニク(現プーラ)でも準優勝と、カップ戦にはめっぽう強い監督。ただし、この試合を最後にスラヴェンを去ることを直前になって明らかにしていました。
ゲームをコントロールしようとするディナモに対して、アグレッシブな守備からカウンターで俊足のヴルチーナに繋げようとするスラヴェン。前半は両者のせめぎ合いとなります。
それぞれが好機を見出す中、スラヴェンは33分、GKニコロスキがロングキックで前方のヴルチーナに繋げると、マーカーを振り切って右からシュート。しかし、ボールは右ポストに弾かれてしまいます。
前半終了間際にはCKからディナモのシルデンフェルトがヘディングシュートしますが、ニコロスキが指先でクリアします。
後半は50分にサミール、53分にエドゥアルドがシュートチャンスを迎えるものの決めることができず。62分、66分にはモドリッチがミドルシュートで打開を計るものの相手ネットを破れません。
Ssifo 次第にディナモが優勢になっていく中で、先制点はスラヴェンが奪います。68分、司令塔のムムレクがドリブルで相手をかわしたのち、中央へ折り返したボールがシルデンフェルト(写真)の腕に当たったとされ、主審のベベクはPKの判定。これをムムレクが慎重に決めて1-0となり、トータルで振り出しに戻ります。
2試合で結果が並んだ場合、延長はなくて直ぐにPK戦になるため、アウェーのディナモは勝ちへと急ぎ、スラヴェンはPK戦を視野に入れて、守りからのカウンターに徹します。
ディナモはタディッチ、ミキッチ、イェルテツといった攻撃のカードを切っていき、ようやく実を結んだのは89分。イェルテツの右FKをシルデンフェルトがゴール前でヘディングシュートを叩きこみ、1-1。そのまま試合終了を向かえ、ディナモがリーグ優勝に続き、クロアチア・カップを制しました。カップ戦優勝は8度目、二冠はこれで4度目となります。

5月27日、5月30日と、一部・二部の入れ替え戦が行われ、二部2位のザダールが一部11位のプーラを打ち破り、一部昇格を決めました。初戦のホームで3-0と圧倒したザダールは、2戦目も相手の退場というアドバンテージを活かして3-2で勝利しています。

元代表DFイゴール・トゥドール(29)が、来季から古巣ハイドゥク・スプリトに戻ることが決まりました。1998年にユベントスに移籍して以来、9年ぶりの復帰となります。
ハイドゥクは会長のグルギッチ会長、副会長のボクシッチ、ディレクターのエルチェグ・ディレクター、クラブマネージャーのシュリャクの4人でトゥドールの元へと出向いて説得。この一年は足首の怪我に悩まされ、ユベントスとの契約も切れるトゥドールは、ボルシア・ドルトムントをはじめとするブンデスリーガ3チームから関心を持たれていたとはいえ、ハイドゥクに戻ることを決めました。契約は1年+1年とされています。
また同じくユベントスから退団が濃厚とされる代表DFロベルト・コヴァチには、ディナモ・ザグレブが熱心に誘っています。年俸150万ユーロと、ディナモにとっては破格の提示をしているのですが、兄も所属するレッドブル・ザルツブルクが年俸250万ユーロで接触を計っています。ロシア戦が終わったのちに移籍先を決定するとのことです。

ディナモ・ザグレブはコートジボアールの攻撃的MFフランク・マンガ・グエラ(20)を獲得、5月22日に契約を結びました。今季はギリシャ一部のケルキールでプレーし、チームは二部落ちしたものの、ブレーメンをはじめとする他のクラブも関心を示す中、ディナモは対ハイドゥク戦に招待するなど、積極的なアタックが功を奏して獲得に成功しました。自由選手のため移籍金は発生せず。年俸は明らかにされていないものの、ディナモの代表選手と同待遇(年俸2000万円ほど)とされています。左サイドが専門ですが、右サイドでもプレーができ、スピードと決定力を持ち合わせた選手で、過去にコートジボアール代表にも2度声が掛かったことがあるそうです。

ヴァルテクスのDFクリスティアン・イプシャ(21)がブンデス・リーガのエネルギー・コットブスに移籍、3年契約を結びました。外国人がチームの大多数を占めるコットブスは、DFマリオ・ツヴィタノヴィッチ、MFスティーヴェン・リヴィッチ、GKトミスラフ・ピプリッツァに続き、4人目のクロアチア人となります。

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