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2007年6月11日 (月)

ヴァスティッチのインタビュー

私もカメラマンとして所属しているクロアチアの総合スポーツサイト「Sport-net」で、元名古屋グランパスで現ラスク・リンツ(オーストリア)のFWイヴィツァ・ヴァスティッチのインタビューが掲載されています。
http://www.sportnet.hr/index.aspx?page=news&id=346200
ファンにも関心がある内容だと思うので、翻訳してみました。

Svastic -貴方はユーゴビニール(現ゴシュク・アドリアック)でサッカーを始めた。
「それは昔のことだね。美しい時代であり、美しいスタートだった。まず最初は、自宅に近い競技場や教会の辺りでプレーを始めたんだけどね。少し経って、12歳からトレーニングを始めたんだ。」

-その2年後、NKスプリトでプレーした。どのコーチから最も学んだ?
「ミレ・ヴィヂャク、ミラルドヴィッチ、フラネ・オビリノヴィッチが私のコーチだった。彼からは私の成長に大きく貢献したね。けれども、ユーゴビニールの少年の部で教えていたミラ・ガムリンの名前も挙げねばならない。彼は私たちをしっかり鍛えてくれ、多くの愛と時間を込めてくれた。だから、彼には同じように感謝しているよ。私をよく鍛えてくれたイヴィツァ・ラコヴもそうだし、直ぐに私に気づいてユースからトップチームへ上げてくれたペロ・バコティッチもそうだ。期待していたよりも少し早く、物事は進んでいったんだ。」

-1991年、20歳で国外に渡った。最初のクラブはFCウィーンだった。
「その頃は既に1年間、(戦争のため)リーグが機能してなかった。トレーニングだけをしており、それが私を苦しめていたのだよ。常に私はサッカーをプレーしたかったし、競争をしたかった。ここではその可能性がなかったので、国外に渡って挑戦することに決めた。ウィーンのマテ・プラジバタ氏を通して、国外のチームへ渡るオプションがあった。私がテストに来ることを助けてくれたんだ。最初の週で直ぐにチームを満足させ、そこで一年間留まったのだよ。」

-オーストリアでは更に小さな二つのクラブでもプレーした。
「サン・ポルテンでは18ゴールでリーグ2位のスコアラーとなり、注目を浴びることになった。それから翌年、アドミーラに移籍した。アドミーラはUEFAカップを戦うこともあって、私にとっても欧州の舞台でプレーすることに興味があった。UEFAカップでプレーし、優れた相手、最高の相手に自分の力を図ることは挑戦だったのさ。自分がどこに位置するのかを見ること-それは常に私にとって挑戦だった。
そこで半年良いプレーをすると、ドイツのデュイスブルクが私を欲してきた。それから半年、デュイスブルクへ渡った。しかし、ドイツでは多くの不幸があった。怪我をしたまま移籍したので、シーズン前の準備期間を完全にこなせなかった。それでも時間と共に少し安定してきて、レギュラーとなった。その後はもうチームに残りたくなかったので、オーストリアに戻ったのだよ。」

-オーストリアではシュトゥルムと契約をし、そこで丸8年在籍した。250試合で124ゴールを決めた。
「移籍は1994年のことだった。あらゆる早い変化ののち、そこで私は落ち着いたのだよ。様々なことが1年間で続いたのち、私はシュトゥルムにやって来て、8年間もいることになった。私のキャリアで最高の時代だったよ。2度リーグ王者となり、3度カップを制し、3度チャンピオンズ・リーグでプレーした。3度目のチャンピオンズ・リーグではセカンドステージに入り、ヨーロッパのベスト16に入った。私たちにとっては代表におけるワールドカップ出場と並んで、クラブレベルで最大の成功の一つだったよ。」

-クラブでの成功以外にも貴方は個人的に褒章を受けた。3度に渡ってオーストリアリーグの最優秀選手に選ばれ(1995年、1998年、1999年)、2度に渡って得点王となった(1996年、2000年)。
「その全ての成功において、私には最高の監督、イヴィツァ・オシムがいたという幸運があったのさ。私に向くようなプレースタイルをオシムは探した。チームは最高だったよ。常に誰かが飛び越えていくようなスタイルは、私に最も向いていた。創造性も充分にあったし、即興も充分にあった。私が知っていること、私が可能なことを見せ、自分の最大限の力を発揮するためのスペースが充分にあったのさ。素晴らしい選手たちがいたとはいえ、全てにおいて私が少し目立っていた。」

-素晴らしいプレーが無視されることなく、1996年にはオーストリア国籍を取得した。
「既に何年間もオーストリアで良いプレーをしていた。5年間オーストリアに滞在するやいなや、連絡が来たんだ。私との間で話合いが持たれ、オーストリア国籍を取得して、代表に呼ばれたいかを聞いてきた。オーストリアに慣れただけに、時期的にも私にはOKだった。オーストリアで私は選手として成長したし、自分が知っているものを披露する可能性をオーストリアが私に与えてくれた。チャンスを与えてくれた彼らへの感謝の気持ちから、私はオーストリア代表でプレーすることを決めたのだよ。」

-オーストリア代表では46試合プレーし、12ゴールを決めた。1998年のワールドカップ・フランス大会にも出場した。クロアチアのためにプレーしなかったことに後悔はないのか?
「後悔はないよ。なぜなら、その時は既にオーストリア代表でプレーすることを決心していただから。クロアチアのためか、オーストリアのためか、とその時は考えたけど、クロアチアからは決して声が掛からなかった。私を最初に呼んでくれた代表のためにプレーし、その招集に応えるつもりだ、と私は言ったんだよ。オーストリアからの招集が早かったし、彼らの代表招集に私は応えた。なぜなら、私がどのようなプレーをしているかを彼らは分かっているし、もし良いプレーをしたら私を呼び、もし良いプレーをしてなかったら私を呼ばないものだと考えていたからね。その決定に関しては、完全にオーストリア側にあったよ。」

Svastic2 -2002年に貴方は日本(名古屋グランパス)に渡った。どのような経験をもたらしたか?
「経験は何層にも渡った良いものだ。選手経験だけではなく、人生経験という点でね。私だけではなく、むしろ家族や子供たちにとっても良い経験だった。子供たちにはとってもタメになったよ。英語を学んだし、新しい何かを見ることになった。少し視野が広がったんじゃないかな。
日本へ渡ったことは私にとっても嬉しいものだ。望むほどの素晴らしいインフラや組織ぶりを日本で見ることができた。すると、クロアチアとサッカーに投資する他の国々の差に気づくものだ。一方では、それが全てではないということも目にする。想像できるだろうが、ここ(クロアチア)には枯渇することのないタレントやサッカー選手の源泉がある。もう少しコンテンツやインフラ、優秀な監督が伴ったならば、更に多くの優秀な選手たちがいるのでは、と私は思うよ。」

-日本へ渡ると共に、貴方の代表のキャリアも終わりを迎えた。しかし、現在のオーストリア代表はFWに問題を抱えている。サポーターは貴方が代表に戻ることに賛成をしているが、ヨセフ・ヒッケルスベルガー監督は全く同意していない。まだ常に代表でのプレーへの意欲を持っているのか?
「間違いなく関心は持っているよ。オーストリアとスイスで開催される欧州選手権だけにね。地元の雰囲気に包まれながらプレーをする。欧州選手権出場は私にとっても本当に関心がある。まだ私は欧州選手権でプレーをしてないし、それは一つの挑戦と言えるね。ワールドカップではプレーをしたが、今回はオーストリアにとっても初めての欧州選手権だ。私がプレーするラスク・リンツは一部リーグに戻ってきた。これから自分が活躍することで、監督は私を代表に招集できるかどうかに関心を持っているよ。
しかし、少し議論の余地はある。なぜなら、オーストリア代表は世代交替を決断し、2年以上、欧州選手権に向けての基盤を築いてきた。2008年に主力となるような若い選手たちを多く代表に入れることに決めたのだ。ところが、その変化は少しラディカルであり、経験ある選手を持つことなく、若い選手ばかりになってしまった。彼らはクオリティある選手だが、2~3人の経験ある選手たちがチームに加わることは間違いなく歓迎すべきことだと私は思っているよ。」

-1年間の日本でエピソードののち、再びオーストリアに戻ってきた。今度はオーストリア・ウィーンで2年間プレーした。
「それは日本から戻った頃だ。オーストリア・ウィーンは私をチームに引き入れることを希望し、私にとってもそれは歓迎すべきことだった。とても良いチームだったよ。リーグでは2位となり、カップ戦では優勝した。期待されたようにリーグを制することはなかったとはいえ、私のキャリアにおいては良い時代の一つだったと言えるだろう。リーグ制覇できなかったのには別の理由があった。クラブ内では常に何かしらの闘争があったからね。状況は最善ではなかったのだよ。」

-2005年からオーストリアのブンデスリーガ(一部)への帰還を賭けて戦ったラスク・リンツでプレーしている。今季は20得点でチームとリーグで得点王となった。
「それも同じく私にとっては一つの挑戦だった。毎年、リーグ優勝の本命として戦ったオーストリア・ウィーンから、二部リーグのクラブへと渡ることは、オーストリアのサッカーファンやサポーターにとっては、かなり懐疑的に思われてしまった。なぜ今でも私が働くのか、とりわけ、なぜこの年齢で、とね。彼ら全員が私がサッカーをやめ、身を引くものだと思っていた。けれども、ラスクの会長と私は一つのビジョンを持っていたのだよ。会長は一部リーグに戻るというビジョンを私に伝え、私はそのビジョンが気に入った。ラスクは伝統あるクラブだが、7年前に二部リーグ落ちて以来、どうやっても戻ることができなかった。大きなポテンシャルがあり、素晴らしいスタジアム、良いインフラを持っているクラブだ。それを少し整理して、結果的に修正する必要があった。今季は最高の形でそれを成し遂げることに成功した。今のリンツには幸福感があり、来季は一部リーグでも同じく良い役割を果たすことだろう。リーグ全体をリフレッシュさせるものだと思っている。それはプレー的な意味合いだけではなく、サポーター的な意味合いでもね。」

-貴方と共に二人のクロアチア人、マリオ・ミヤトヴィッチ、ダヴォリン・カブラル(元セレッソ)もラスクでプレーしている。来季にはシベニクのGKシルビオ・チャヴリナも加わる。
「雰囲気はいいよ。クロアチアの選手は非常に早く、簡単に適応するからね。祖国から遠くはないし、オーストリアのメンタリティが彼らにも合っている。常に試合に集中することができるし、自由な時間には常に祖国へと戻ることができる。だから、ノスタルジーが大きくがないんだ。シルビオ(チャヴリナ)も同じように心地良さを感じると思うよ。彼が家にいるかのように感じてくれるよう、全員が努力するつもりだ。仲間は本当に良いし、私たちのチームに適応する際に大きな問題を抱えることはないと思っているよ。」

-クロアチア・リーグの出来事は追っているか? あるいは、クロアチア・リーグとオーストリア・リーグを比較できるか? 例えば、最高のクラブ同士で。クロアチアのディナモとハイドゥク、そしてオーストリアのレッドブル・ザルツブルクとオーストリア・ウィーンとで。
「その比較は難しいよ。例えば、ディナモとザルツブルクが対戦したら興味深いだろうね。オーストリアとクロアチアを対比したら、幾らか状況は似ている。ディナモは現時点でクロアチア最高のチームだ。長きに渡って何もなく、各クラブが同等の状態で飛び出してきたレッドブル・ザルツブルクが現在、オーストリア最高のチームで、ディナモと共に上向きである。
クロアチアでは三つのグループに分けられる。ディナモが最高で、ハイドゥク、ザグレブ、更に良い仕事をしているヴァルテクスが続く。今はシベニクもそこに入るだろう。それから残りのクラブとなり、勝点差でかなり引き離される。オーストリアは二つのグループに分かれ、2位から最下位が全て同等だ。クロアチアよりもオーストリアの方が、リーグ下位の間で少し実力が似通っているだろう。」

-あとどれぐらいプレーするつもりか? どこでキャリアを終えるのか?
「それを語るのは難しいよ。先は決して分からないものだ。私がグラーツにいた時も、同じ質問をされたよ。当時はグラーツを離れるとは考えてもいなかった。その後、私は日本に渡り、そしてオーストリアに再び戻ってきた。今は2年間、リンツにいる。何かを計画しようにも、多くのことが起こるからね。」

-ハイドゥクでキャリアを終える可能性はあるか?
「難しいね。もう38歳だし。ハイドゥクでプレーしたいと夢見ることにもう意味はないと思っている。それに関しては終わった話だよ。しかし、先は決して分からないよ。選手として私が成功しなくとも、監督として今日か明日にでも成功しているかもしれないのだから。」

-現役引退後もサッカー界に留まるのか?
「サッカー界には留まるよ。今、まさにオーストリアの監督学校に通っており、全て計画通りに進めば、2008年にはA級ライセンスを取得する。それから先はどうなるか、だね。」

-貴方の二人の子供、トニとティンも貴方と同じ道を進んでいる。
「サッカーへの愛を彼らにも向けられたことに私は成功したんだ。同じように彼らも意思を持ってサッカーをプレーしている。私と一緒によくプレーしたものだよ。今は既にクラブに所属しており、ゆっくりと自分の道を進んでいるよ。私にとって重要なのは、彼らがサッカーを楽しんでくれることだ。何になるかどうかは、自分たちで決めることだろう。もし意思があるならばね。意思がサッカーにとって最重要なのだからね。」

-今日にはオーストリアに戻り、明日には新たなシーズンに向けて準備が始まる。ブンデスリーガでラスクはどれだけやれるか?
「二部リーグでは良いチームだったが、一部でも中位は維持できるものと思っている。一年目の目標は間違いなく一部に残留することだ。それから先をどうするか考えよう。発展に向けてシスティマティックに強化をすることだろう。一年ごとに私たちが更に発展するのを見ることになるだろうね。UEFAカップも目標になることだろうし、もしやこの先のシーズンはレッドブル・ザルツブルクに反逆することに成功するかもしれない。とてもとても難しいだろうが、それがクラブ内の全員の強い願望となるだろう。」

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コメント

長束さん、長文インタビューご紹介、翻訳本当にありがとうございました。
自分のキャリアについてこんなにも多く語っているイヴォを初めて見たといっても過言ではないでしょう。
イロイロ思うことはあるのですが
「意志がサッカーにとって最重要」という言葉が何よりもイヴォらしい。

それと彼の中ではクロアチアもオーストリアも両方とも大事なんだなあとあらためて感じました。

投稿: bella | 2007年6月12日 (火) 01時59分

長束さん翻訳ありがとうございます。常に言葉を選んで答えるイヴォらしいインタビューだと思いました。また、彼が日本での経験をポジティブに捉えていることに感謝したいと思います。
数年前、今度の欧州選手権の決勝が行われるエルンスト・ハッペル・シュタディオンに行ってきました。
できれば、あのシュタディオンでイヴォがプレーしている様子をもう一度見たいものです。

投稿: みんみ | 2007年6月13日 (水) 00時48分

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