チョルルカ、マンチェスター・シティに正式移籍
クロアチア代表DFヴェドラン・チョルルカ(21)が、ディナモ・ザグレブからマンチェスター・シティの移籍手続きが完了。現地にて入団発表が行われました。背番号は24。移籍金はマミッチ・ディナモ副会長の証言によると1300万ユーロ、年俸300万ユーロの5年契約になります。 ディナモとの契約更新を拒否し、移籍を希望していたチョルルカ(写真)は
「とても満足している。これ以上に落ち着くことはありえないよ。クラブを訪れ、スタジアムを訪れたけど、全く僕にとっては新しいものだ。上手く適応できるものと確信しているよ。
エリクソンのような監督が僕をチームに欲してくれたことに満足している。チームは優秀な選手がたくさんいるし、更に補強もすることだろう。今季のマンチェスター・シティは大きな結果を残そうとしてるし、そのチームの一員になれることをうれしく思う。
移籍に関しては、全てがあっという間に行われた。ほとんど一晩のうちに、僕が拒否できないほどのチャンスが巡ってきた。そしてイングランドへと渡ったのさ。これは全ての選手とっての夢であるし、今、僕にもその夢が実現したんだ。
8年間過ごしてきたディナモを去ることは間違いなく単純ではなかったけど、違う場所でも試す時がやってきた。ディナモは僕に多くのものを与えてくれただけに感謝している。しかし、これはプロフェッショナリズムだ。新たな目標を定めなくてはならない。ディナモは選手を売らないという主義を通してきたけど、僕が受けたこのオファーとチャンスはその主義すらを通せないものだったわけさ。」
とコメントしています。
またゴラン・エリクソン監督は
「ヴェドランは若い上に、センターバックと右サイドバックという幾つものポジションでプレーできるのが長所だ。上背もあるし、肝も座っている。21歳にして国際経験も豊富にあることも、私たちにとってはプラスだ。トップチームにおける選手が更に一人加わった。彼が大きな成功を収めることを願っているよ。」
と語っています。
クロアチア代表FWボシュコ・バラバン(28・写真)が、クラブ・ブルージュからディナモ・ザグレブの移籍に大筋で合意しました。移籍金は150万ユーロ、年俸は40万ユーロの3年契約と言われており、40万ユーロとはいえ、ディナモにとっては一番の高給取りとなります。ブルージュでの身辺整理をしたのちザグレブへと戻り、それから契約にサインする運びです。 クラブ・ブルージュは来年夏にバラバンとの契約が切れ、レッドスター・ベオグラードからFWドゥシャン・ヂョキッチを獲得(移籍金150万ユーロ)したことから、この時期がバラバン売却のタイミングと考えたようです。
バラバンは2000年にリエカからディナモに移籍。ショコタとのコンビで27試合14得点の活躍を見せたのち、2001年にアストン・ヴィラに移籍したものの失敗。2002年にレンタルでディナモに戻り、そこではオリッチとのコンビで24試合15得点を決め、2003年からクラブ・ブルージュに移籍しました。クラブ・ブルージュでは116試合58得点を決めており、エドゥアルドに代わるゴールゲッターとしてディナモ幹部は期待を寄せています。
イングランドの労働ビザがなかなか認可されなかったアーセナル所属のクロアチア代表FWエドゥアルド・ダ・シルヴァですが、移籍してからちょうど一ヶ月たった8月2日、ようやく労働ビザが認可されました。
先のエミレーツ・カップでは労働ビザのために出場できなかったエドゥアルドですが、2日、ラツィオとの試合にフル出場。26分、CKからのヘディングシュートはクロスバーを越えたものの、55分、今度はCKからヘディングシュートを決めて、アーセナルのユニフォームを着ての最初のゴールを記録しております。
アーセン・ヴェンゲル監督も
「エドゥアルドは良いプレーをしたし、ゴールを決めたことで自ら労働ビザの認可を素晴らしい形で祝ったよ。チームプレーにおける彼の吸収ぶりは非常にいいね。」
とコメントしております。
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コメント
チョルルカの移籍には色々あったみたいですが、この条件ではやはり移籍以外有り得ないですね。エドゥアルドとチョルルカはクロアチアの若い選手に夢とモチベーションを与えましたね。想像以上に移籍金が高くびっくりしました。チョルルカにも無事に労働ビザが発給されることを願ってます!
投稿: ボクシッチ | 2007年8月 3日 (金) 13時50分
1300万ユーロはさすがに驚きましたが、クロアチアでも「ほんとかいな」って疑われているみたいですよ。
なにせ、シャフタールから購入したセレソンのエラーノの方が安いなんてことが起きていますし…。
このようなビッグな移籍が連続するのを目の当たりにすると、改めて移籍劇においては代表が持つ意味合いが強いですね。
かつては代表監督が袖の下を貰うこともあったみたいですけど(誰の時かバレバレですねw)。
投稿: 長束恭行 | 2007年8月 3日 (金) 23時26分
チーロのことですね。(^o^;)笑 あの時代はトゥジマン大統領とチーロが代表を牛耳っていて、世代交代できずユーロ予選敗退→そのまま人材不足で暗黒時代へ という感じで…。
若さとポテンシャルを秘めた今の代表チームの選手を、国外の有力クラブも評価してくれているのは凄く嬉しいです!(^O^)/
投稿: ボクシッチ | 2007年8月 4日 (土) 20時12分