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2008年1月16日 (水)

ブログが移転しました

いつも「クロアチア・サッカーニュース」をご愛好頂き、有難うございます。
このほど、当ブログをスポーツナビのセレクトブログへと移転しました。
タイトルはそのまま「クロアチア・サッカーニュース」です。
今後ともどうぞ宜しくお願いします。

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/nogomet/

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2008年1月15日 (火)

イヴァンコヴィッチ、ディナモ監督を辞任

国内リーグで首位を快走するディナモ・ザグレブに激震が走りました。
14日、今年で3年目となるクロアチア一部リーグ室内選手権準決勝で、ディナモがライバルのハイドゥク・スプリトに1-2で敗北。ディナモを私物化しているズドラヴコ・マミッチ副会長がサポーターの標的となり、「マミッチのジプシー野郎」のコールが体育館に鳴り響きました。これに怒ったディナモの副会長ズドラヴコ・マミッチがドレッシングルームへと乱入し、
「イヴァンコヴィッチ、マギッチ、そして全てのコーチどもめ。お前の母ちゃん、やっちゃうぞ! 8人しか選手を起用しなかったのはお前たちなのに、いつも私が罪を被るじゃないか。」
Sivankovicmagicと、クロアチア語定番の罵り言葉をコーチ陣に投げかけました。一晩経った15日の午前、ブランコ・イヴァンコヴィッチ監督(写真右)と彼の右腕であるライコ・マギッチ・アシスタントコーチ(写真左)が辞任を提出。クラブもそれを受理しました。
イヴァンコヴィッチ監督は失望した表情を見せながら
「辞表を出すことを決めた。これは私における最終決定であり、サーカスはもう御免だよ。マミッチの行き過ぎた行動が、コップから水がこぼれる一滴となった。
私がデマゴギーなしで言えることは、ディナモが私の監督のキャリアにおいて最も美しい時代となった。素晴らしい結果、素晴らしいプレー、そして素晴らしい栄光があったのだよ。非の打ち所のない振る舞いを見せた選手たちを指導できたのは幸せだったと思う。15ヶ月に一つもトラブルもなく、完璧に機能していたのだからね。」
とコメント。イヴァンコヴィッチは昨シーズンに国内リーグ・カップの二冠を達成し、リーグ28連勝という欧州歴代2位の記録を樹立。ディナモ史上最高の勝率を誇る監督でありましたが、またしてマミッチ副会長の暴走の犠牲者となりました。
その後、ブラジェヴィッチ(現ザグレブ監督)のTVトークショーに出演したマミッチは散々イヴァンコヴィッチをけなしたわけですが、同時に後任監督として現在ディナモ・ユースを指導しているズボニミール・ソルド(41)の就任を明らかにしています。

話が前後しますが、8~14日に開催されていたクロアチア一部リーグ室内選手権についてです。今年で3年目を迎えるこの大会はドイツの室内選手権を見習ったもので、優勝したクラブには使途をユース運営に限定した20万クーナ(約440万円)が贈られます。しかしながら、シーズン再開の準備以前に行われるため各クラブは怪我人の心配を抱いていました。ディナモは膝に故障を抱えるMFモドリッチをはじめ、半分の主力を出場させず、またハイドゥクもFWカリニッチを温存。一方で現在リーグ得点王のザグレブのFWロヴレクは初日で前十字靭帯断裂の大怪我を負ってしまいました。
Sdinhaj まず最初の4日間は12チームを2グループに分けての総当り戦が行われ、ディナモ、ザグレブ、インテル・ザプレシッチ、ハイドゥク、ザダール、リエカの6チームが二次リーグへと進出。6チームのリーグから未対決の9カードが行われ、1位ディナモ(勝点13)、2位インテル(10)、3位ザグレブ(8)、4位ハイドゥク(7)の4チームが決勝トーナメントに進出しました。
準決勝でディナモとハイドゥクの両雄が対決。ハイドゥクは二次リーグでディナモと2-2で引き分けたものの、インテルには0-4、ザグレブには0-6と大敗していました。ディナモ優勢と見られた準決勝ですが、7分にハイドゥクのフルゴヴィッチが先制点を挙げると、21分には個人技でルカビナが追加点。ディナモは23分にPKでカルロスが1点返しますが、それが精一杯。終了間際にはカルロスの肘打ちをきっかけに両チームの選手にわる殴り合いに転じてしまい、後味の悪い試合となりました。
Shajduk ファイナリストはハイドゥク、そして準決勝でインテルを3-0と一蹴したザグレブ。過去の大会で二連覇を果たしているザグレブは「ロヴレクのため」を合言葉に勝ち上がってきました。試合は序盤からザグレブが主導権を握り、20分にムイジャの左からの折り返しにイブリチッチが押し込んで先制に成功します。ザグレブは直後に追加点のチャンスを決められずに終わると、24分、ハイドゥクのフルゴヴィッチが左サイドからシュートを決めて同点。前後半40分を終えてPK戦に託されました。ハイドゥクは5人全員が決めたのに対し、ザグレブはブルクリャチャのシュートが止められてしまい、5-4でハイドゥクが勝利。初優勝を飾っています。3位決定戦ではディナモが3-0でインテルを一蹴。また最優秀選手はザグレブのイヴリチッチ、得点王はザダールのトマソフが9得点で受賞しています。
(写真はSport-netより)

14日、ワールドカップ南アフリカ大会の欧州予選、グループリーグ6の試合日程に関する話合いがザグレブのシェラトン・ホテルで行われました。各国の代表団が集結し、クロアチアからはビリッチ監督、またイングランドからはカペッロ新監督らが出席しています。ウクライナが主張をごり押ししたため話合いは難航しましたが、予定より遅れること一時間、日程が発表されました。クロアチアは以下のような日程です。
2008年9月6日    カザフスタン戦(ホーム)
2008年9月10日  イングランド戦(ホーム)
2008年10月11日  ウクライナ戦(アウェー)
2008年10月15日  アンドラ戦(ホーム)
2009年4月1日    アンドラ戦(アウェー)
2009年6月6日    ウクライナ戦(ホーム)
2009年8月19日  ベラルーシ戦(アウェー)
2009年9月5日    ベラルーシ戦(ホーム)
2009年9月9日    イングランド戦(アウェー)
2009年10月14日  カザフスタン戦(ホーム)
欧州予選は9グループに分かれ、1位となった9ヶ国に加え、2位の成績上位8ヶ国でプレーオフが行われ勝利した4ヶ国が本大会に出場します。
ビリッチ監督は
「我々の希望の多くが通ったと言えよう。最初はホームで弱い相手と対戦したかったし、イングランドも次の秋のうちに対戦したかった。唯一嫌な日程は8月のベラルーシ戦で、本来ならば親善試合を行う日だからね。」
とコメントしていますが、まだサッカー協会はビリッチ監督との契約延長に合意できておらず、年間1000万円にも満たない安給料のクロアチアの監督の座を去る可能性も十分にあります。

前クロアチア代表監督のズラトコ・クラニチャールが、クロアチア二部リーグのクロアチア・セスヴェッテの監督に就任することになりました。契約期間は6ヶ月です。
当初は1990年にツルヴェナ・ズヴェズダをチャンピオンズ・カップ優勝に導いたセルビアのリュプスコ・ペトロヴィッチが監督に就任する予定でしたが、中国のクラブに引き抜かれてしまい、代わる人物を探していました。UAEのクラブの監督を辞任したばかりのクラニチャールはボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督の仕事に関心を持っていたものの、こちらはボスニア人のメホ・コドロが就任。よってクラニチャールはセスヴェッテと合意に至りました。ちなみにセスヴェッテは現在一部リーグの首位を走っており、初の一部昇格を目指しているザグレブ郊外のクラブです。

Shrgovic ハイドゥクの左サイドバックで主将も務めるボスニア・ヘルツェゴビナ代表DFミルコ・フルゴヴィッチ(28・写真)に、ジェフユナイテッド千葉がオファーを出しています。フルゴヴィッチは近いうちにハイドゥクから去ることをかつてより明言しており、最近ではフランスのレンヌ、ル・アーブル、ドイツのケルン、またロシアのクラブからもオファーが届いていると報じられていました。移籍金は70万~100万ユーロとされ、条件面を考慮した上で1月までには新たなクラブを選ぶと言っていましたが、現在はジェフからのオファーに魅力を感じているようです。
「ジェフからの具体的なオファーはある。しかし、今は急いでコメントすることはない。何かが起こる可能性は十分にあるが、タイミングより前に突っ走りたくはないよ。
とはいえ、僕はかつて大阪にいた。比較的短かったとはいえ、2001年にガンバでプレーしていたんだ。今だったらもっとよく適応できることだろう。当時はハイドゥクから大阪に移り、それからシロキ・ブリイェグ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に戻って、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表となった。それからヴォルフスブルクへ移籍し、ブンデスリーガからハイドゥクに戻った。まるで一周を終えるかようにね。そして今、僕が去るとしたら新たな一周が始まる。歴史は繰り返されるように、日本へ旅立つことは運命におけるチャレンジなのだよ。
僕が仮定形で話すことが多いのは、物事に急ぎたくないし、ハイドゥクをせかすつもりもないからだ。クラブとの話合いが全てとなるだろう。それ以外は有り得ない。日本に行くことが唯一のオプションではないけど、全ての条件面において最も良いオファーとなるだろう。もう29歳になるし、もう一度国外のクラブと契約する価値が私にはあるだろう。」
とコメントしています。

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2008年1月10日 (木)

モドリッチ、ディナモに残留

ただ今、休暇も兼ねて日本に帰国しており、年末年始ということでしばらくお休みしていました。

この二週間で最も話題となったのはモドリッチの残留劇でありました。
Smamic 26日よりディナモのズドラヴコ・マミッチ副会長(写真)とゾラン・マミッチ・スポーツディレクターの兄弟がイングランドに渡って各クラブと交渉を進めました。たまたま、ザグレブ→ロンドンの便で私はマミッチ兄弟と一緒になりまして、顔なじみの副会長から直接に話を聞く機会がありましたが、この時はまだモドリッチ売却の方向性でありました。トッテナム・ホットスパーとチェルシーが2500万ユーロを提示する中、最高額の2700万ユーロを提示したマンチェスター・シティの移籍が濃厚とされた中、ザグレブへと戻ったマミッチ副会長が先月29日に記者会見を開き、モドリッチの残留を発表しました。
「ルカ・モドリッチは2009年もディナモのユニフォームで迎えることになるだろう。そう言えるのは私にとっても名誉としか言えない。どのイングランドのクラブも直ぐに彼を獲得しようとした。どのオファーも5000万ユーロを下ることはなかった。」
と幾らか大げさに語ったのち、
「しかし、昨日の朝、神の声で目が覚めた私は、もう一度ヨーロッパの年越しのチャンスを我々のクラブに与えるために、どうすればディナモやサポーター、子供に対して誠実になれるか理解したのだよ。ゾランの部屋へと行き、私の方向性を彼に伝えた。ゾランはショックを受けたけど、ポジティブなショックだった。それからバリシッチ会長に電話をし、誰もが興奮をし始めたのさ。私とゾラン、会長以外はこの決定を知らなかったはずだ。イヴァンコヴィッチ監督でさえもね。ルカにはチームメートと一緒にディナモを欧州カップの年越しへと導く義務がある。まるでサナデル首相がクロアチアをEUへと導く義務があるようにね。」
Smodric と述べました。てっきり国外へと移籍すると思っていたモドリッチ(写真)はこの顛末にショックを受け、マスコミには口を開くことはありませんでしたが、1月8日、公式記者会見で口を開き、
「クラブの決定にはとても驚いた。なぜなら去る準備は全てできていたからだ。最初は残念に思ったよ。しかし今は決定に失望はしていない。やっぱりディナモは僕のクラブだしね。国内リーグてもっと進歩できるかは分からない。国外に出たほうがもっと進歩できるのは間違いないだろう。この先6ヶ月は欧州選手権と新たな移籍のため、よい良い準備とトレーニングができるよう努めるつもりだ。チームを去るのが今でないのならば、夏に移籍が実現するよう願っている。これが僕の最終決定だよ」
と述べています。マミッチ副会長は欧州選手権後ならば3000万ユーロ以上で売れる、との期待を抱いているようですが、モドリッチにとっても最良の移籍のタイミングだっただけに周囲からの批判にさらされています。

そんな中、アーセナルでブレイクしつつあるエドゥアルド(写真)とマミッチ副会長の対立がクローズアップされています。
Seduardo 「モドリッチが気の毒だ」と友人として悲しむエドゥアルドはヴェンゲル監督にモドリッチを購入するよう依頼したと言われていますが、癪に触ったマミッチは「エドゥアルドはアーセナルに行ってから一度も連絡がない。そういうのがサッカー選手だ」と語ると、逆にエドゥアルドも「マミッチはロンドンに何回も来ているというのに、最初の一回以外は僕に連絡をすることもない。なぜ僕を避けようとするのか、マミッチが説明してくれ」とやり返しました。
マミッチは「あのハナタレ小僧のレベルまで自分を下げるつもりはない。俺が奴をアーセナルに連れてやったというのに。奴は病気で、人としてもなっていないと言えよう」と反撃。それに対してエドゥアルドは「僕はマミッチのエージェントのためにプレーしたのではない。ディナモのためにプレーしたのだ。マミッチが僕を売ったのではなく、むしろ僕のプレーと決めてきたゴールで移籍が実現したのだ」と反発しました。
この両者の対立が明るみになった背景には移籍金の一部が支払われなかったことがあるようで、ディナモを去る際には無理やり「移籍金を要求しない」という書類にサインさせられたようです。これはエドゥアルドに限らず、マミッチのエージェントと契約していたバラバンやレコ、ツェサールといった選手たちも同様なことがあったとされています。

1月8日よりクロアチア一部リーグ12クラブによる室内選手権が開幕。今年で三度目となる大会ですが、シーズン再開の準備期間が失われるのと、人工芝では怪我人が出る可能性があるため、現場では反対の声が上がっています。実際、ディナモはモドリッチをはじめ主力の何人かを大会に送っていません。
そんな不安が実際に起こってしまいました。初日のディナモvs.ザグレブ戦で、ザグレブのエースストライカーで現時点の得点王であるクルノスラフ・ロヴレクがGKカレヴと交錯して退場。診断の結果は前十字靭帯損傷で全治4ヶ月。今季絶望となる挙句、レンヌ、デポルティーボ・ラコルーニャ、FCソウルなどから届いていたオファーの話もフイになってしまうということで、ロヴレク本人は「最悪の気分だ…」と涙ながらにこぼしています。ロヴレク以外にもザグレブのMFムイジャ、ディナモのDFシルデンフェルドも初日で怪我してしまっています。

リエカの左SBマヌエル・パミッチ(21)がレッドブル・ザルツブルクに移籍しました。移籍金はリエカ史上最高の100万ユーロ(次の移籍では30%の移籍金がリエカに)、年俸30万ユーロ、契約期間は3年半となります。パミッチは17歳の時にプーラで一部リーグのデビューを果たすと、2年後にはリエカに移籍。その持ち前のスピードとパワーでリーグ随一の左サイドバックへて成長しました。レッドブルでは退団した三都洲の後釜として期待されています。

既に日本のメディアでも報道されていますが、ディナモでリーグ優勝を経験しているヨシップ・クジェ(写真)がジェフユナイテッド千葉の監督に就任することになりました。クロアチアのメディアでは3年契約、年俸40万ドルと報じられています。
Kuze 「ルワンダでは素晴らしい2ヶ月間を過ごした。しかし、日本のオファーを断ることはできなかったのだよ。ガンバ大阪から去ったのち、自分にそう誓ったのさ。やっぱり日本を優先するのだと。日本から私に仮契約書が届いたとき、私にとっても大きなショックだったことを信じて欲しい。
この5日間、ルワンダ・サッカー協会と話合いをしてきた。彼らは私が残るよう強く望んだものの、私は友好的に別れたかった。友好的でありプロフェッショナル関係で別れることを保障すべく、契約にも違約金の上限を設けていた。これら話合いなしで契約を解消したならば、私は罰金を払わなければならない。こうして、金銭にてうまく事は終えた。」
とクジェは述べています。契約解消の話合いではルワンダ大統領のポール・カガメも加わり、引き留めには金銭に糸目をつけないと伝えてきたものの、クジェが日本でチャレンジする意思の方が強かったそうです。今後もルワンダのアドバイザー役となるオファーを引き受けたものの、仕事を引き継げるクロアチア人のコーチを二人送ることを明言しております。

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2008年1月 4日 (金)

ホームページ10周年

新年明けましておめでとうございます。

私が運営してきたホームページ「クロアチアに行こう!!」が、今日めでたく10周年を迎えました。最近はほぼサッカーに内容が完全シフトしたため、タイトルとコンテンツが噛み合ってない状況となっていますが、これまでご愛好頂いた皆様には深く御礼を申し上げます。

2005年6月からブログとして独立した「クロアチア・サッカーニュース」ですが、近いうちにスポーツナビのセレクトブログに移行する予定です。これまでは淡々と既成事実をニュースとして書いてきましたが、今後はもう少し幅を広げて書いていくつもりです。こちらもどうぞ宜しくお願いします。

年末年始は一時帰国による日本移動と体調不良もあってニュースの更新が遅れていますが、また近いうちにまとめてアップします。

それでは2008年も宜しくお願い致します。

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