モドリッチ、ディナモに残留
ただ今、休暇も兼ねて日本に帰国しており、年末年始ということでしばらくお休みしていました。
この二週間で最も話題となったのはモドリッチの残留劇でありました。 26日よりディナモのズドラヴコ・マミッチ副会長(写真)とゾラン・マミッチ・スポーツディレクターの兄弟がイングランドに渡って各クラブと交渉を進めました。たまたま、ザグレブ→ロンドンの便で私はマミッチ兄弟と一緒になりまして、顔なじみの副会長から直接に話を聞く機会がありましたが、この時はまだモドリッチ売却の方向性でありました。トッテナム・ホットスパーとチェルシーが2500万ユーロを提示する中、最高額の2700万ユーロを提示したマンチェスター・シティの移籍が濃厚とされた中、ザグレブへと戻ったマミッチ副会長が先月29日に記者会見を開き、モドリッチの残留を発表しました。
「ルカ・モドリッチは2009年もディナモのユニフォームで迎えることになるだろう。そう言えるのは私にとっても名誉としか言えない。どのイングランドのクラブも直ぐに彼を獲得しようとした。どのオファーも5000万ユーロを下ることはなかった。」
と幾らか大げさに語ったのち、
「しかし、昨日の朝、神の声で目が覚めた私は、もう一度ヨーロッパの年越しのチャンスを我々のクラブに与えるために、どうすればディナモやサポーター、子供に対して誠実になれるか理解したのだよ。ゾランの部屋へと行き、私の方向性を彼に伝えた。ゾランはショックを受けたけど、ポジティブなショックだった。それからバリシッチ会長に電話をし、誰もが興奮をし始めたのさ。私とゾラン、会長以外はこの決定を知らなかったはずだ。イヴァンコヴィッチ監督でさえもね。ルカにはチームメートと一緒にディナモを欧州カップの年越しへと導く義務がある。まるでサナデル首相がクロアチアをEUへと導く義務があるようにね。」 と述べました。てっきり国外へと移籍すると思っていたモドリッチ(写真)はこの顛末にショックを受け、マスコミには口を開くことはありませんでしたが、1月8日、公式記者会見で口を開き、
「クラブの決定にはとても驚いた。なぜなら去る準備は全てできていたからだ。最初は残念に思ったよ。しかし今は決定に失望はしていない。やっぱりディナモは僕のクラブだしね。国内リーグてもっと進歩できるかは分からない。国外に出たほうがもっと進歩できるのは間違いないだろう。この先6ヶ月は欧州選手権と新たな移籍のため、よい良い準備とトレーニングができるよう努めるつもりだ。チームを去るのが今でないのならば、夏に移籍が実現するよう願っている。これが僕の最終決定だよ」
と述べています。マミッチ副会長は欧州選手権後ならば3000万ユーロ以上で売れる、との期待を抱いているようですが、モドリッチにとっても最良の移籍のタイミングだっただけに周囲からの批判にさらされています。
そんな中、アーセナルでブレイクしつつあるエドゥアルド(写真)とマミッチ副会長の対立がクローズアップされています。 「モドリッチが気の毒だ」と友人として悲しむエドゥアルドはヴェンゲル監督にモドリッチを購入するよう依頼したと言われていますが、癪に触ったマミッチは「エドゥアルドはアーセナルに行ってから一度も連絡がない。そういうのがサッカー選手だ」と語ると、逆にエドゥアルドも「マミッチはロンドンに何回も来ているというのに、最初の一回以外は僕に連絡をすることもない。なぜ僕を避けようとするのか、マミッチが説明してくれ」とやり返しました。
マミッチは「あのハナタレ小僧のレベルまで自分を下げるつもりはない。俺が奴をアーセナルに連れてやったというのに。奴は病気で、人としてもなっていないと言えよう」と反撃。それに対してエドゥアルドは「僕はマミッチのエージェントのためにプレーしたのではない。ディナモのためにプレーしたのだ。マミッチが僕を売ったのではなく、むしろ僕のプレーと決めてきたゴールで移籍が実現したのだ」と反発しました。
この両者の対立が明るみになった背景には移籍金の一部が支払われなかったことがあるようで、ディナモを去る際には無理やり「移籍金を要求しない」という書類にサインさせられたようです。これはエドゥアルドに限らず、マミッチのエージェントと契約していたバラバンやレコ、ツェサールといった選手たちも同様なことがあったとされています。
1月8日よりクロアチア一部リーグ12クラブによる室内選手権が開幕。今年で三度目となる大会ですが、シーズン再開の準備期間が失われるのと、人工芝では怪我人が出る可能性があるため、現場では反対の声が上がっています。実際、ディナモはモドリッチをはじめ主力の何人かを大会に送っていません。
そんな不安が実際に起こってしまいました。初日のディナモvs.ザグレブ戦で、ザグレブのエースストライカーで現時点の得点王であるクルノスラフ・ロヴレクがGKカレヴと交錯して退場。診断の結果は前十字靭帯損傷で全治4ヶ月。今季絶望となる挙句、レンヌ、デポルティーボ・ラコルーニャ、FCソウルなどから届いていたオファーの話もフイになってしまうということで、ロヴレク本人は「最悪の気分だ…」と涙ながらにこぼしています。ロヴレク以外にもザグレブのMFムイジャ、ディナモのDFシルデンフェルドも初日で怪我してしまっています。
リエカの左SBマヌエル・パミッチ(21)がレッドブル・ザルツブルクに移籍しました。移籍金はリエカ史上最高の100万ユーロ(次の移籍では30%の移籍金がリエカに)、年俸30万ユーロ、契約期間は3年半となります。パミッチは17歳の時にプーラで一部リーグのデビューを果たすと、2年後にはリエカに移籍。その持ち前のスピードとパワーでリーグ随一の左サイドバックへて成長しました。レッドブルでは退団した三都洲の後釜として期待されています。
既に日本のメディアでも報道されていますが、ディナモでリーグ優勝を経験しているヨシップ・クジェ(写真)がジェフユナイテッド千葉の監督に就任することになりました。クロアチアのメディアでは3年契約、年俸40万ドルと報じられています。 「ルワンダでは素晴らしい2ヶ月間を過ごした。しかし、日本のオファーを断ることはできなかったのだよ。ガンバ大阪から去ったのち、自分にそう誓ったのさ。やっぱり日本を優先するのだと。日本から私に仮契約書が届いたとき、私にとっても大きなショックだったことを信じて欲しい。
この5日間、ルワンダ・サッカー協会と話合いをしてきた。彼らは私が残るよう強く望んだものの、私は友好的に別れたかった。友好的でありプロフェッショナル関係で別れることを保障すべく、契約にも違約金の上限を設けていた。これら話合いなしで契約を解消したならば、私は罰金を払わなければならない。こうして、金銭にてうまく事は終えた。」
とクジェは述べています。契約解消の話合いではルワンダ大統領のポール・カガメも加わり、引き留めには金銭に糸目をつけないと伝えてきたものの、クジェが日本でチャレンジする意思の方が強かったそうです。今後もルワンダのアドバイザー役となるオファーを引き受けたものの、仕事を引き継げるクロアチア人のコーチを二人送ることを明言しております。
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コメント
ロヴレクの件は本当に残念です。ハンサムで気さくな好青年の印象でしたので、非常に気の毒です…。年齢的にも最後の国外移籍の大きなチャンスでしたね。
ただ不幸中の幸いか選手生命が終わったわけではないので、これからもNKザグレブの象徴としてディナモと戦ってくれることを期待します。
投稿: ボクシッチ | 2008年1月11日 (金) 21時15分