2007年11月16日 (金)

NE DAJ SE SVABO!

こちらの今朝、「オシムが急性脳梗塞で倒れた」というニュースを耳にし、今でも信じられずにいます。今年初め、本制作もあって集中的にオシムと会ってきたわけですが、熱くサッカーを語る姿が今でも忘れられません。
Sosim サッカーと共に生き、サッカーのために生きてきたオシムは、日本サッカーに自らを捧げながらも、故郷サラエボを大事にしてきました。サラエボで会った時のオシムは「これを機に会いたがる人が多くてね」と忙しそうにしつつも、嬉しそうな眼をしていたものです。あれだけのサッカー人間ですから、日本代表で遣り残した仕事があるのは不本意でしょうが、せめて命だけは取り留めて、最後には愛するサラエボに戻って欲しいと願っています。

2005年9月のクロアチアのスポーツ紙"Sportske Novosti"で、彼が懇意にしているジャーナリスト、アントン・サモヴォイスカ氏が「故郷に戻ることをしばしば考えたりするか?」と質問した際、彼は「ああ、私の戻る家がどこか判ったならばね....」と答えました。これに関して、今年初め、オシム本人に問いただしたところ、少し黙り込んだ後で、真のプロフェッショナルらしく、このように語ってくれました。

『故郷に戻るのを待っている間も人生は過ぎていく。私は人生の大部分を「外」で生きてきた。「外」とはどんな意味か? 「世界」に住んでいるということだよ。「世界」---私が自惚れているとか、自分を世界的人間と見なしている、とは解釈しないでくれ。そうじゃない。人生がそうさせるものだ。

あちこちに住むと、最後には「何なのか?」と自問するものだ。自分に最も固く結びついたもの。それは、私が生まれ育ったサラエボの一地区である。それに次ぐ残りが、私が働いた場所であり、プレーした場所だ。いつもそうして私は人生を思い巡らせている。

概して人間は、窮屈な事柄や手に負えない事柄に繋がれることなく、動き回り、人生を生き、それから多くを知るべき生き物だ。故郷はどこか、ルーツはどこかを知るのは素晴らしいことである。一方で、いわゆるコスモポリタンであることも素晴らしい。だから「いつ祖国に戻るのか?」との質問を受けた瞬間、何を考えているか答えることが難しかった。唯一言えるとしたら、戻るかもしれないし、私が生まれた場所で死ぬかもしれない、ということだ。しかし、サラエボで死ぬことと、人生を生きることは同じではないのだよ。

人生で何が起こるかなんて誰が知るものか。とりわけサッカー界で、ここやそこ、もしくは違う土地にどれぐらい留まるか、なんて誰が予想できるのかね。全ては状況次第だ。何をするのか、どこへ行くのかを選ぶ機会がいつでもあるわけではない。時には様々な環境が人々を動かし、思ってもいなかった場所に生きさせられることがある。それがより良い可能性もあれば、より悪い可能性もあるのだよ。マジョルカ島で余生を過ごすことを選べるような人々は少しだけだ。しかし、そこに住んだとしても、それも退屈なものだ。』

NE DAJ SE SVABO! (諦めるな、シュワーボ!)

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2007年7月10日 (火)

グループリーグ初戦ののち~17年前のオシムの発言を振り返る

アジアカップが開幕し、日本は初戦のカタールに引き分け。こちらからメディアやネットをチェックしていると、随分と世論でパニックが起きているように思えます。
6月29日に私が翻訳を手掛けたオシムの手記「日本人よ!」(新潮社)が発売されましたが、その制作を前に過去の新聞資料を色々と当たりました。

Sosim2_1  振り返ること17年前。1990年にイタリアで開催されたFIFAワールドカップで、オシム率いるユーゴスラビア代表はベスト8まで勝ち進みました。準々決勝のアルゼンチン戦でPK戦に負けてしまいましたが、民族対立のために国情が不安定で、かつ大会前からメディアに対しては四面楚歌だったにもかかわらずで、チームを戦う集団としてまとめ上げたのが紛れもないオシムでありました。
そのユーゴスラビア、グループリーグ初戦のドイツ戦ではサヴィチェヴィッチ、スシッチ、ストイコヴィッチら攻撃的MFをずらり並べ、後半55分にはプロシネツキまでも投入したものの、マテウスの2ゴールをはじめ、クリンスマン、ブレーメにシュートを決められて1-4と完敗。
しかしながら、次の難敵コロンビア相手には3人の新たな選手を加え、76分にヨジッチのゴールで1-0と勝利、以後チームは波にのることになります。
アジアカップとは状況が違うとはいえ、一つのスタディケースとして、ドイツ戦とコロンビア戦の2試合間におけるオシムの発言を取り上げてみようと思います。

(ドイツ戦直後の記者会見 [1990年6月11日])
「長きに渡って記憶するだろう然るべきレッスンを我々は受けた。誤った時期に、我々は強すぎる相手に飛び込んでいったのだ。我々の"芸術家"たちは、コンプリートな選手をも加えた労働者相手(ドイツ)に通用しないことが示されたのだよ。
我々の選手とドイツの選手の考え方は全く逆だ。自分たちが最高だと思い、同等に戦おうとしたけれども、相手はしっかりとチームを形成し、更に良くて強かったということだ。
現時点は非常にデリケートな状況だ。なぜなら、待ち構えているコロンビアの試合は、"全てか、あるいは無か"という戦いをせねばならないからだ。我に戻る必要がある。全ての敗北から本当の結論をももたらす必要があり、間違いなく変化をももたらすだろう。まずは正直になろう。今夜はまだ上手く切り抜けたほうだと。」

(ドイツ戦から一日開けて)
「誰もが初戦で多くを期待していたが、今の彼らでは無理であると誰もが目にすることになった。だから誰もが失望し、"ノックアウト"されてしまったのだよ。
私たちは選手を叩き起こし、積極性とスピードに向かわせなければならない。走る必要があるのだ。エンターテイメントとは何か、エレガントととは何かなどと根拠なしに論じるのではなく。ここでは、生きるか死ぬかの戦いをしているのだ!」

(試合前日)
「(スタメンの変更を聞かれ)
それは君たちで予想してくれ! 私は完全に決定を下していない。決定は単純ではないのだよ。これまで非難を浴びることはないと思っていたレギュラー陣に緊張感が漂っているのは良いことだ。
Sosim コロンビア戦は第一に勝たねばならない試合であり、また負けることが許されない試合だ。グループの他の試合に関連して、この先は勝点3だけでなく、勝点2で抜ける可能性がある(※当時は勝って勝点2、引分で勝点1)。なぜ自分たちに対してバルカンの頑固ぶりを押し付けなくてはいけなのだのね!?
流動性があり、スピードがあり、犠牲の準備ができ、"死ぬ"準備ができた布陣が私たちにはまさしく必要だ。もしかしたら、アトラクティブに機能しないかもしれないが、アトラクティブさは二次的なものだ。重要なのは、私たちが静まり返るのではなく、眠っているのではなく、麻痺しないことなのだよ。
そんな仕事に向いているのは、ここ数日に名前が挙がってきた選手たち(サバナゾヴィッチ、スタノイコヴィッチ、ブルノヴィッチ)だ。今までプレーしてきた選手たちの方が客観的に良いかもしれないが、彼らは紳士的に振る舞い始めたような印象がある。パッションを失い、"手袋"を見につけているかのような振る舞いをね。
命令する側の仕事には、もっと"人間臭い"ものがある。一度の敗北のあとは全てが人間臭く変わってしまうものだか、なぜ選手たちや、そして自分を疑わなくてはいけないのだね? それはパニックの兆候となりえてしまう。パニックは最悪の"協力者"なのだ……。」

「もっとリスクを持って戦うつもりだ。それは"愚か"という意味ではない。個々がアクションをシンプルにする必要があるし、より大きなコレクティブさが個々には必要だ。ワールドカップにおいて、私たち以外に"ボールと戯れる"ような国があるというのかね? 
つまり、守備と攻撃と両極面で更に効果的になるという意味だ。あっさりとゴールを食らうだけではなく、頭が痛くなるようなギミックにこだわるのではなくてね! 
カメルーンやコスタリカ、エジプトの選手たちは、必要ならば力強い犠牲心や疲労からでも燃え上がろうとする。足元が崩れたとしても、頭で相手のスパイクやゴールポスト、全てに向かっていく。しかし、我々の選手たちは? 背中を向けて、隠れているだけじゃないか!」

(コロンビア戦後のコメント [1990年6月15日])
「難しい試合だった。プレーはもっと難しかった。ドイツとの大敗ののち、我々は攻撃せねばならないと同時に、最大限の注意を払わねばならなかった。何とかその両方を結びつけることに成功したのだよ。私たちの勝利に批判はないと思う。
試合前は選手たちを落ち着ける必要があった。ある選手は興奮から一晩中、目を閉じることができなかった。とはいえ、大事なことは初戦のミスを繰り返さないことだ。この試合は最後における最難関のテストだった。そのテストに合格することに我々は成功したのだよ。
(布陣を変更したことについて)
以前のようでは無理だった。全員がどれだけ走ったのか、どれだけ戦ったのか見てやってくれ。この試合では全員が第一に結果のためにプレーした。芸術的な印象というのは"演奏における最後の穴"なのだよ。つまり、"芸術家"が多すぎることは、ここにおいて求めるものは無い。それが誰かにとって、正しいか正しくないかということだった。
いつも通り、選手個々の成果については話すつもりはない。前半においては、選手がお互いに要求をしっかりと交わしていたということは言及しておく。それは理解しえることだ。なぜなら、今まで一緒にやったことがなかった布陣だったからね。」

ちなみにユーゴスラビアのグループリーグ第3戦は奇しくも、次の日本の対戦相手と同じUAE戦であります。結果は4-1で圧勝。布陣では第2戦のコロンビア戦と同様に、労働者タイプのサバナゾヴィッチ、スタノイコヴィッチ、ブルノヴィッチが起用されています。

(インタビュー・写真はいずれもSportske Novosti紙)

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2007年4月21日 (土)

欧州水準に劣るクロアチアの走力レベル

最近のチャンピオンズ・リーグの試合放映において、選手の走行距離が表示されるようになりました。これは「AMISCO-PROシステム」呼ばれる、選手の動きを分析システムを使ったものです。1セット15万ユーロしますが、ヨーロッパのビッグクラブも保有していると言われています。
ちょっと前のスポルツケ・ノヴォスティ紙に欧州トップレベルのクラブとクロアチアのクラブの走行距離の興味深い比較記事がありました。
例えば、4月初めのチャンピオンズ・リーグ準々決勝「ローマvs.マンチェスター・ユナイテッド」戦では、ローマのデ・ロッシが11,260m、ペロッタが10,748m、マンチェスターのキャリックが10,624m、ルーニーが10,160mを走っています。
Modric_7 一方、4月4日のクロアチア・カップ準決勝「ハイドゥク・スプリトvs.ディナモ・ザグレブ」戦をザグレブ大学体育学部のシニーニャ・ヤリッチ教授が手計算で計測したところ、クロアチアではよく動くとされるディナモの司令塔モドリッチ(写真)が6,770m、ハイドゥクの司令塔ムサが6,080mに留まり、実に欧州トップレベルの60%しか走ってないことが明らかになりました。
ヤリッチ教授は
「チャンピオンズ・リーグはクロアチアの試合より、少なくとも10分間は多く動いている。クロアチアでは余りにもプレーが切れるし、ボールキープしたままの状態も多い。もちろん走力も減ってくる。45分間のハーフタイムにおいて、20分以上のアクティブなプレーがないことも頻繁にあるのだ。」
とコメント。ちなみにモドリッチは前半、オフェンシブハーフのポジションで動きが制限されて2,990mしか走らなかったものの、後半はボランチで3,780m走っています。本人もこの試合ではいつもより走力が少なかったことを認めていますが、彼の名誉のために言及しますと、よりモダンなサッカーをしているクロアチア代表の試合となるとモドリッチは10,000mは走っており、それがビッグクラブでも彼が通用すると言われる所以です。
ヤリッチ教授は
「モドリッチは非常にクレバーかつ合理的に走っていることを強調したい。彼はこの点、非常に進歩しており、必要がない時には余り力を無駄に使っていない。彼の世代の多くの選手は、何が無意味な走りで、何が必要な走りかをよく分かっていない。」
と、モドリッチを高く評価しております。ただ、このままスローテンポなクロアチア・リーグに染まってしまうのは良くないのでしょうが……。かつてはイヴァン・レコがスペインのマラガに移籍した際には動きの違いで慣れるのに苦労しましたし、クラニチャールがプレミアで苦戦しているのも走力の脆弱さが一因と言えます。
走力が選手における最低条件とするオシムのような指導者が90年代初めに旧ユーゴから去ってしまったのは、旧ユーゴのサッカーの最大の損失かもしれません。彼が監督として指導してきた選手たちが現在、クロアチアのクラブでも監督を務めるようになりましたが、誰一人とも走力をベースにしたサッカーを植えつけられないのが現実です
現代サッカーの方向性は明らかに走力が必要とされているデータの一つに、1960年代に一人の平均走行距離が平均2.5~3kmだったのが、80~90年代には6~8km、21世紀になってからは8~10kmと飛躍的に伸びています。トップレベルのクラブにおいては、1試合で11人の走行距離が100~105kmと標準とされ、バイエルン戦のミランが107km、うち25%がスプリントでありました。
ちなみに、70~80年にバイエルンやレアル・マドリッドで活躍したパウロ・ブライトナーは11,400mと驚異的な運動量を持った一方で、同じくバイエルンで活躍したFWカール・ハインツ・ルンメニゲは4,700mに留まっております。60年代ではディスティファーノが4,300m、マリオ・ザガロが3,900mと計測されています。

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2007年1月31日 (水)

オリッチ、HSVと契約/ハイドゥクvs.ジェフ戦

30日、代表FWイヴィツァ・オリッチ(27・写真)がハンブルガーSVと契約、正式に一員となりました。18歳の時にヘルタ・ベルリンでプレーしたこともある彼にとっては二度目のブンデス挑戦となります。
P1120190ハンブルガーのスポーツ・ディレクター、ディートマー・バイヤースドルファー氏は「私たちのプ レーに高い次元を与えてくれるフォワードを持てたことをとりわけ嬉しく思う。」とコメントしています。
またトーマス・ドル監督は「オリッチで私たちが強化されることは間違いない。長きに渡って彼を追っていたが、私たちのシステムに完全に適応すると何度も確信してきた。」と述べています。ちなみにオリッチはCSKAモスクワの一員として昨季のチャンピオンズ・リーグで二度、ハンブルガーと対戦していました。
契約期間は2009年夏まで、移籍金は公表されてないものの200万ユーロと推測されています。背番号は「11」をつけることになりました。31日のエネルギー・コットブス戦に早速、出場する可能性も出ています。

ハイドゥク・スプリトへの復帰が常に話題に上がっていたDFイゴール・トゥドール(28)ですが、最終的には夏までユベントスに残留することになりました。理由としては怪我の状況がまだ思わしくないことにあります。足首の間接に入ったバクテリアはアントワープの病院で除去したものの、まだ痛みを感じており、トレーニングを始められない状況にあります。
トゥドールは夏にユベントスとの契約が切れ、それから新たなクラブを探すことになりますが、ハイドゥク復帰のオプションはまだ有り得ると語っています。

30日、アンタルヤでハイドゥク・スプリトがジェフユナイテッド千葉と対戦、新加入のFWアンテ・ルカビナ(20)のゴールで1-0と勝利しています。ジェフにとってはトルコ合宿、最初の試合となりました。
前半45分はもっぱらハイドゥクがボールを回す展開となり、ジェフは防戦一方になります。9分にルビール(元湘南)がゴール前へと突破し、ジェフの選手から背後を引っ張られたままシュートを放つものの枠を捉えられません。37分にはツァレヴィッチが好クロスを上げましたが、ルカビナが反応に遅れて決められませんでした。ハイドゥクはプレースピードに欠け、中盤が余りにもボールにタッチしすぎるという問題を抱えていたそうです。
後半54分、ジェフもチャンスを迎えます。抜け出した山岸がGKバリッチから7~8mの距離でシュートを放ちましたが、バリッチの好セーブに終わります。主導権を握ってきたハイドゥクへの報いは60分、ツァレヴィッチのCKにルカビナがヘディングで決めての先制ゴール。それからジェフは攻撃的に転じ、70分にゴール前へと詰め寄ったストヤノフがチャンスを迎えるものの、ムサにカットされてしまいました。78分にはルカビナがスピードを活かしてゴール前へ突進するものの、シュートはGKがセーブしています。
ハイドゥクはこれでトルコ・キャンプでの練習試合を2勝1分1敗としています。ちなみにトルコへは代表アシスタント・コーチのアリョーシャ・アサノヴィッチが視察に訪れており、注目選手のルカビナだけでなく、これからディナモの代表選手らもチェックしに行くそうです。またジェフはディナモ・ザグレブとも2月4日に対戦予定です。

試合結果:
ハイドゥク・スプリト - ジェフユナイテッド千葉  1-0 (0-0)

ハイドゥク:
GKバリッチ-DFペライッチ、ジリッチ、ジブコヴィッチ、フルゴヴィッチ-MFムサ、ダムヤノヴィッチ(46' バラティナッツ)、ツァレヴィッチ、ルビール(85' ガブリッチ)-FWルカビナ(80' ブシッチ)、バルトロヴィッチ
ジェフ:
岡本、水本、ストヤノフ、斉藤、水野、中島、佐藤、山岸、工藤、羽生、黒部
(途中交替:立石、結城、朴)

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2006年9月19日 (火)

クロアチア・リーグ第7節

9月16日・17日にクロアチア・リーグ第7節が行われました。

開幕前は予想だにしなかったハイドゥク・スプリトの好調ぶりは続きます。
ホームに4位のヴァルテクス・ヴァラジディンを迎えました。MFムサが怪我したもののMFバラティナッツが復帰。しかし守備的MFダムヤノヴィッチが累積警告のため、ジヴコヴィッチをDFからコンバートしました。11分にそのジヴコヴィッチがエリア内でパパを倒してPKをヴァルテクスに与えてしまい、これをきっちり主将のシャファリッチが決めてヴァルテクスが先制します。
ハイドゥクは今季初めて相手に先制点を与えてしまいましたが、慌てることなく攻めていきます。37分、バラティナッツのクロスボールをDFバシッチがヘディングのクリアミスでオウンゴール。その1分後にはツァレヴィッチのパスを受けたバルトロヴィッチが反転して右下隅にグラウンダーのシュートを決めて逆転に成功します。69分にはバラティナッツがドリブルでエリア内に入ると、一度はボールをカットされるも奪いなおしてシュートを決め、ハイドゥクは3-1で勝利。開幕7連勝を果たしました。

Agicibri 首位ディナモ・ザグレブは17日に3位のNKザグレブとアウェーで対戦。試合前は強い雨が降りましたが、小さなクラニチェヴィチェヴァ・スタディオンがほぼ埋まる5000人の観客。オーゼール戦における応援への感謝ということで、ディナモのズドラヴコ・マミッチ副会長がサポーターのBBBに2000枚のチケットをポケットマネー(約160万円)で買い与えました。
ザグレブのミロスラフ・ブラジェヴィッチ監督はマミッチと対立してディナモを離れただけに、彼にとっては復讐戦になります。オーゼール戦の落ち込み度から勝算ありと見込んでいたものの、勝利はあっさりとディナモに転がり込みます。
16分にディナモが右サイドでエトーがインターセプトすると、そのままカウンター。クロスボールをヴグリネツがヘディングで合わせると、ボールはふんわりをGKを越えてゴール右に吸い込まれます。23分にはツビタノヴィッチがゴール前にボールを入れ、ヴグリネツがヘディングでファーポストにフリーでいたエドゥアルドに送り、きっちりとエドゥアルドが決めて2-0とディナモがリードを広げます。
後半はダレた展開になりましたが、ロスタイムにカウンターからエトーが折り返すとDFラブドヴィッチの足に当たってオウンゴール。3-0でディナモが解消し、ハイドゥク同様に開幕7連勝を果たしています。
[写真はディナモMFアギッチ(手前)とザグレブMFイブリチッチ(奥)]

しかし、ディナモではヨシップ・クジェ監督とマミッチ副会長の対立が激化。オーゼール戦前後に両者が喧嘩をして以来、チーム内は険悪なムードに包まれており、あるメディアは月曜日に「クジェ更迭、新監督にニコラ・ユルチェヴィッチ」と断定的に報道。同日にそれをチーム側が否定する騒動がありました。クジェは契約がまだ4年半残っており、サポーターや選手からの人望も熱いものの、チーム最大の権力者であるマミッチは欧州で結果を残せないクジェに否定的な考えを持っております。

クラブ内の問題は他にも起こっています。
低迷中のリエカはオシエク相手にホームで前半に2点リードされたものの、ロスタイムにリニッチの強烈なミドルシュートで2-2と追いついたわけですが、前半だけで交替されたFWボリッチ、DFシャリッチの両ベテランがそのまま帰宅してしまったことに、スコチッチ監督は二人を戦力外通告してしまいました。リエカはシーズン前に最も補強に力を入れたクラブなのですが、一度に出場できる外国人枠4人に対して外国人を5人獲得するなど、ナンセンスな補強を繰り返したとしてイェジッチ会長に批判されているスポーツ・ディレクターのマリンコ・コリャニンが辞任を示唆しております。
またオシエクのイヴォ・シュシャク監督は試合を前にして辞表を提出。クラブ側はシュシャクを評価しているものの、サポーターが常勝チームに仕立てられないシュシャクに不満を持っており、それに敏感にシュシャクが反応しての辞表となります。新監督は現在2部のポモラッツを指揮しているネナド・グラツァン氏が濃厚で、後任が決まるまでの残り2試合はシュシャクが指揮する予定です。

第7節の全試合の結果はこちら。

Medimurje - Slaven Belupo 0:3
0:1 13' Pejic
0:2 27' Mumlek (PK)
0:3 34' Dodik

Cibalia Vinkvci - Pula 3:1
1:0 15' Zekic (PK)
1:1 36' Halilovic
2:1 68' Zore
3:1 86' Zekic

Kamen Ingrad - Sibenik 3:1
1:0  9' Saric
2:0 68' Mujcin
2:1 84' Rukavina
3:1 90' Tomic

Rijeka - Osijek 2:2
0:1 16' Milardovic
0:2 42' Buljan
1:2 63' Sharbini
2:2 90' Linic

Hajduk Split - Varteks Varazdin 3:1
0:1 12' Safaric (PK)
1:1 36' Balatinac
2:1 38' Bartolovic
3:1 69' Balatinac

Zagreb - Dinamo Zagreb 0:3
0:1 16' Vugrinec
0:2 23' Eduardo
0:3 90' Labudovic (og)

【順位】
1位…ディナモ・ザグレブ(勝点21)、2位…ハイドゥク・スプリト(21)、3位…ヴァルテクス・ヴァラジディン(13)、4位…ザグレブ(13)、5位…オシエク(10)、6位…シベニク(9)、7位…プーラ(8)、8位…リエカ(7)、9位…スラヴェン・ベルーポ(6)、10位…メヂムリエ(6)、11位…カメン・イングラッド(4)、12位…チバリア・ヴィンコヴチ(3)

【得点】
7ゴール…エドゥアルド(ディナモ)
6ゴール…ノヴィニッチ(ヴァルテクス)
5ゴール…ゼキッチ(チバリア)、シャルビーニ(リエカ)、ルカビナ(シベニク)
4ゴール…ボリッチ(リエカ)、バルトゥロヴィッチ(ハイドゥク)

シャフタール・ドネツクに在籍する代表MFダリヨ・スルナが、17日のウクライナ・リーグ、対タブリヤ戦で右足首を負傷。10月7日のアンドラ戦と11日のイングランド戦の出場が微妙とされています。

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2006年9月12日 (火)

欧州選手権予選/ロシアとスコアレスドロー

遅れてしまいましたが、欧州選手権予選のニュースを。

まずはロシア戦を前にしてクロアチア代表を揺るがす事件が起こりました。
MFスルナ、FWバラバン、FWオリッチの3人が2日の夜から3日に掛けてスロベニアの合宿地チャティジュを抜け出し、ザグレブ市内にあるセルビア音楽が売り物のクラブ「フォンタナ」へ遊びに行ってしまいました。同クラブで3日5時頃、発砲事件があったことで、3人がクラブに遊びに行っていたことが公に発覚(報道では5時45分に合宿地に戻ってきたと書き、本人達は翌日2時過ぎには戻ってきたと主張)。「クロアチア代表でなぜセルビア音楽が?」と疑問に思われるかもしれませんが、スルナやバラバンは親の片方がセルビア人で、オリッチは妻がセルビア人と言われています。
3日の夕方に3人の合宿地抜け出しの知らせを耳にしたスラヴェン・ビリッチ監督は、直ぐに3人を代表から追放。主将のニコ・コヴァチが選手を代表して3人の放免をビリッチ監督にお願いしたものの、規律を乱した罪は許すことができずに拒否。クロアチア・メディアは「裏切り者」として吊るし上げ、サッカー協会も翌日に尋問を行い、3選手にそれぞれ3万クーナ(約60万円)の罰金が言い渡されました。
ビリッチ監督は4日の記者会見で
「彼らは責任を払わなくてはならない愚行をやってしまった。ただ、彼らが"恥の柱"にこれからもくくりつけられるという意味ではない。若いだけにそこから教訓を引き出して貰いたい。」
と答えました。シミッチ、シムニッチがサスペンション、トゥドールとクネジェヴィッチ、更に3人が追放ということで厳しい状況に立たされたビリッチ監督は
「ハンディキャップは大きい。しかし、他の解決方法はないんだ。アリバイなんて作る気はないし、プランを変えるつもりもない。モスクワでの試合は現時点で最高の11人を並べるつもりだ。」
と語りました。

9月6日、欧州選手権予選「ロシアvs.クロアチア」の会場となるのはモスクワのロコモティーバ・スタディオン。3日前にU-20女子サッカー世界選手権決勝(中国vs.韓国)が雨の中で行われたことで、ピッチの状況は劣悪に。この日も雨が降ったため、ぬかるみだらけのピッチとなってしまいました。
選手の台所事情の厳しいクロアチアは4-4-2で以下のスタメンを敷きます。
GKプレティコサ-(右から)DFチョルルカ、サブリッチ、コヴァチ弟、シェーリッチ-MFラパイッチ、コヴァチ兄、モドリッチ、クラニチャール-FWクラスニッチ、エドゥアルド
一方のロシアもスメルティン、V.ベレズツキー、ケルジャコフが怪我、ジルコフとビストロフが累積警告で欠場。策士ヒディンク監督は3-4-2-1のシステムを敷きました。
GKアキンフェイェフ-DFコロディン、イグナシェヴィッチ、A.ベレズツキー-MFアニュコフ、アルドニン、セムショフ、ビリャレトディノフ-アルシャーヴィン、イスマイロフ-FWパヴリュチェンコ

前半開始からクロアチアは安定した最終ラインとボールコントロールに優れた中盤で主導権を握ります。3分にクラスニッチが放ったゴールは左ポストを外れ、7分にエドゥアルドのクロスにラパイッチがトラップからシュートを狙いますが、相手DFにブロックされてしまいます。ロシアはミドルシュートから打開を図るしかなく、13分にセムショフの25mのミドルシュートは枠を捉えられません。
それからは小康状態となりますが、31分、エドゥアルドが左からアーリー気味にグラウンダーでクロスを入れると、ボールはファーへ飛び込んだラパイッチに。けれどもボールコントロールにてこずりシュートまで行けません。その2分後にはエドゥアルドとのコンビネーションからモドリッチがシュートするもGK正面。ロシアも38分、カウンターからビリャレトディノフがエリア左からシュートするもボールはバーを越えます。43分、ラパイッチが左隅を狙って放ったミドルシュートもGKがキャッチしてしまいます。

前半はクロアチアに傾いたパワーバランスは後半頭も続きます。49分、ラパイッチの強烈なミドルシュートは再びGKアキンフェイェフがセーブし、その1分後には30mの直接FKをラパイッチが得意の弾道で蹴りこむもののクロスバーを叩き、跳ね返りをクラスニッチがフリーでボレーシュートを放ちましたが、ボールはポストを逸れてしまいます。52分にはクラニチャールが20mのミドルシュート。GKが弾いたところにエドゥアルドが反応しますが、先ほどのクラスニッチ同様にシュートが枠に収まりません。
ロシアは53分、FWポグレブニャクを投入。ロングボール主体の攻撃へと切り替えつつ、アルシャーヴィンとポグレブニャクが上手く絡みます。56分にポグレブニャクのお膳立てからアルシャーヴィンが放ったシュートは左ポストを逸れ、その1分後はモドリッチのミスパスからロシアのカウンター。アルシャーヴィンのラストパスからポグレブニャクがGKと一対一となりますが、シュートは不正確に終わります。61分にはクロアチアのエリア内の密集からセムショフが強烈なミドルを放つものの、GKプレティコサが素晴らしいセーブでかわします。64分にはアルシャーヴィンが巧妙なフェイントからDF二人のマークを抜け出すものの、力のないシュートはポストに叩かれます。
ロシアに押される展開でしたが、クロアチアも76分に途中交替のペトリッチがミドルシュート。ボールはエリア内でDFの手に当たりましたが、スペイン人のゴンザレス主審からPKの判定は取ってもらえず。87分、チョルルカの右クロスにクラスニッチがゴールを背にしてボレーを試みますが、ボールはわずかに右ポストを逸れてしまいました。試合はこのまま0-0のスコアレスドロー。勝利できるチャンスはあったとはいえ、アウェーで貴重な勝点1を取れたことは満足できる船出といえましょう。右サイドバックのチョルルカ、センターバックのサブリッチは安定した守備を見せて合格点。また左MFとして起用されたクラニチャールは最後バテバテになったとはいえ、左サイドでモドリッチとの優れたコンビネーションを見せました。問題といえるのは未だ代表で覚醒を見せないクラスニッチ。アシストを配給できるエドゥアルドとは良いコンビになれるでしょうが、覚醒にはまだ時間が必要なようです。

試合後、記者会見でビリッチ監督は
「ホームで長らく負けていなかった相手からポジティブな結果を達成できた。コンパクトさを維持し、チームとして本当にまとまっていた。全員で守ったし、多くの選手が攻撃参加した。モスクワでは楽じゃないとはいえ、サッカーをすることができた。勝利には近かったとはいえ、スポーツ運が欠けていたのも事実。ラパイッチとクラスニッチのゴールが決まっていたならばね。」
と答えました。オリッチとスルナ、バラバンのことを聞かれると、以下のように声を荒げています。
「またそれについて話さなくちゃいけないのか? 私はもう十分に話した! 彼らは過ちを犯した。だから罰せられたんだ。罪を認めておらり、早かれ遅かれチームに戻ることになるだろう。この先も外に追いやる理由がない。」
一方、ロシアのヒディンク監督は
「ホームで引分けという結果に幸せになれるわけがない。大きなプレッシャーを抱えることは難しかった。3人のレギュラー選手が欠けていたし、選手の選択幅は広くはない。とても複雑な試合だったよ。クロアチアは最初の20分間、ピッチを支配し、チャンスを作っていった。後から私たちもチャンスを作り、フィニッシュまではイニシアティブを握っていた。もちろん、これは私たちにとって大きな経験だ。クロアチアは希望を持てる組織されたチームであることを示した。だからこの結果は不成功ではない。」
とコメントを残しています。

ただし、ビリッチの受難は続いております。試合当日にクロアチアのタブロイド紙が、女性のテレビ司会者ミラ・ホルヴァトとの関係を書きたてことにビリッチは激怒。
「監督業は私にとってとても愛すべき仕事だ。全てを楽しんでいる。しかし、このような告発は耐えがたい。彼女とは一度もお茶もしたこともないし、唯一、私がゲストとして出演した番組に彼女も共演していただけだ。なのにこのような攻撃が私に値するというのかね?!

と翌日のザグレブでの記者会見で語り、辞任も辞さない態度を見せています。

U-21欧州選手権予選2試合が行われ、クロアチアU-21代表はグループリーグ最下位で敗退が決まっています。これまでの予選はA代表のグループリーグに沿って行われたいたものの、今大会はブルガリアとウクライナとの3チーム間における一発勝負で首位だけがプレーオフに抜けられます。既に初戦でブルガリアがアウェーでウクライナを3-0で一蹴しており、9月3日のソフィアにおけるブルガリアvs.クロアチア戦が鍵を握る試合となりました。
クラニチャール、モドリッチ、チョルルカはA代表に取られていることから、ラディッチ監督が組んだスタメン(4-2-3-1)は以下のとおり。
GKスバシッチ-DFイプシャ、ヴクマン、ヴチュコ、ムイジャ-MFブルクリャチャ、ポクリヴァッツ-グラビナ、イェルテツ、マンジュキッチ-FWブシッチ
一方のブルガリアU-21代表は1日前のA代表の対ルーマニア戦にも出場したFWボジノフが先発起用。前半は難なく抑えてきたものの、53分にディフェンスの隙をついたボジノフがシュートを決めてブルガリアが先制します。クロアチアも58分にブルクリャチャがPKを決めて同点に追いつきますが、83分にブルチーナがエリア内でヤンコフを倒してブルガリアがPK。ボジノフのシュートはGKスバシッチが一度止めたものの、跳ね返りをポポフに決められて1-2で敗北。この試合結果で予選突破が遮られてしまいました。

9月6日にはリエカでウクライナU-21代表との無観客試合が行われました。無観客となった理由は、昨年秋のU-21欧州選手権予選プレーオフ、対セルビア・モンテネグロ戦でサポーターが侮辱行動を繰り返したためです。スタメンは以下のようでした。
GKスバシッチ-DFムイジャ、イプシャ、ヴチュコ、バルトゥロヴィッチ-MFブルクリャチャ、ポクリヴァッツ-グラビナ、イェルテツ、マンジュキッチ-FWブシッチ
お互い本大会進出の道が閉ざされたとはいえ、多くの代理人が見ている中でダイナミックな戦いを見せていきます。しかし29分、ウクライナのフェシュチュクがループシュートを決めて先制すると、その後はウクライナのペース。61分に左クロスからブシッチがゴールを決めて同点に追いつくも、84分にコーナーからウクライナのロマンチェクが決め、またして1-2の敗北。グループリーグ最下位が決まり、この世代のチームは解散となりました。

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2006年3月27日 (月)

ただ今、国外取材中

DSCF0837 現在は取材で国外に来ております。2月10日に戻ってからというもの丸一ヶ月間はメディアのコーディネート通訳に追われていたわけですが、今回は一人で来ている分、やり易さがあります。

国外とはいえ、対象はクロアチア選手。ドイツ、オランダと渡り、現在はベルギーのブリュッセルまで来ました。
計3試合ベルギーリーグの試合を観ましたが、スタジアムや観客の雰囲気も良く、またクロアチアと違って90分テンポが維持する試合で面白いですね。
偶然にもセルビア語が判る現地記者の方がいて、「なぜベルギーにクロアチア人選手が増加しているか?」と前から気になっていることを聞いたら、「ベルギーの選手には少し欠けているテクニック面を持っているのが一つ。あとは外国人枠がないことだろう」とのことでした。

取材対象にハプニングが多く予定も二転三転するですが、国外にいてもクロアチア流儀(バルカン流儀)があるということでしょう。29日にザグレブに戻る予定です。

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2006年3月19日 (日)

イヴィツァ・オシム、W杯を語る

スポルツケ・ノヴォスティ紙が今週発売した「W杯ガイドブック」に、ジェフユナイテッド千葉のイヴィツァ・オシム監督のワールドカップ評が掲載されました(写真)。
スポーツ報知に一部が報道されましたが(http://www.yomiuri.co.jp/hochi/soccer/mar/o20060317_50.htm)、ここでは全文を紹介しようと思います。

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P1090684 サッカー選手はその昔、ワールドカップのために生きていた。地球上のサッカーの祭典は、世界が4年間に渡って準備した特別で力強い挑戦の場であった。しかし、今日ではサッカーライフは根本から変わってしまった。欧州そして世界のクラブの王冠というべきチャンピオンズ・リーグはワールドカップよりもレベルの高い大会となり、毎年開催される上にメディアがしっかり放映することによってビッグマネーが飛び交っている。ワールドカップにとっては大きな危険だ。

ワールドカップの年になると、どの代表監督も「どうやってレギュラー陣の問題を解決するか」という苦しみと共に生きることとなる。選手達の90%は(ワールドカップ出場が)明らかである。つまり11人のレギュラー陣のうち9人から9人半は計算できる。けれども選手達はクラブが生活の糧であり、代表が生活の糧ではない。どうやってワールドカップまでの時間を選手達が安全に過ごせるかが大きな問題だ。ワールドカップの大きな挑戦のために自らをセーブできるのか、それとも雇い主のためにプレーして全てのエネルギーを使い切るのか? 
そのような問題は2002年ワールドカップのフランスに起こった。彼らは搾取された状態でやってきた。その問題はダド・プルショにも起こっている。クロアチア代表以前にレンジャースが彼を搾取することを望んでいる。
バルセロナが年間の全ての目標を狙いに行った時、つまりチャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権、リーガエスパニョーラを制覇しようとするならば、次のような問題が出てくるだろう。「選手達は更に代表のために力を出すことができるのか」ってね。

ワールドカップの現時点でのトレンドは人生と同じだ。トレンドは勝利であり、成功である。しかし、どのように成功まで至るかについては誰も聞かない。チームにプレーと知識とパワーを結びつけることに成功したものが勝利する。そのようなフォーマットのもと、次のようなサッカー選手がチームの土台となる。背が高く、パワーがあって、プレーと闘争、そして戦争の準備が出来ているサッカー選手だ。今日成功しているチームの多くの構成は非常に似ている。クラブと代表の多くがドログバやトニのような背の高いFWを一人置き、それを周囲に攻撃的なプレーを形成するというもの。唯一、バルセロナだけが現時点で異なる。

どのように勝利するかの方法を懸命に追求する監督達(=薬剤師)のトレンドは、できるかぎりリスクを少なくすることだ。リスクが0%になる可能性を求めている。魔法の処方まで辿り着くために努力が費やされたことは、全くもって理解できる。誰かがミスを犯す権利を持つためには、余りにも多くのお金がサッカー界で動いているからだ。しかし、もしリスクがないならば、どこにプレーがあるというんだね? もし全員がリスクの限界をゼロまで近づけたいのならば、サッカーには何があるというんだね? リスクのないサッカーは本当に退屈となるだろう。まるで野球のようにね。それは破滅的なことだ。

ワールドカップの本命はいつも同じだ。ブラジル、オランダ、イタリア、アルゼンチン、ドイツ.....。けれども、彼らも大きな注意を払わなければならないよ。なぜならクロアチア、チェコ、コートジボアール、メキシコ、エクアドルのようなチームが、一回だけ一流のセンセーショナルを起こせる準備をいつもしており、その力も充分に持っているからだ。

人々はアーティストを待ち焦がれてきたし、ロナウジーニョみたいな選手がもっと出てくることを望んでいる。ロナウジーニョは本当に輝いており、サッカーが数字や戦術に余りにも行き過ぎている時代で人々をリフレッシュさせる存在だ。しかし誰もライカールトへ彼について尋問しない。ロナウジーニョは代表とクラブで最高のカテゴリーに属し、自分が好きなようにプレーでき、誰からも口出しされない唯一の選手だ。このような選手がもっといれば良いんだろうけどね。けれどもロナウジーニョはパリ(PSJ)でも同じように才能があったのに、バルセロナのようなプレーはしなかった。彼は周囲の選手によるということは明らかだよ。

クロアチアが入ったグループは非常に興味深い。ブラジルはブラジル。しかしクロアチアはグループ2位の本命という立場からどうしても逃げることはできないだろう。それは良きにつけ悪しにつけね。クラニチャールのチームはどんな相手でも倒すことができる。本当にどんな相手もだ。彼らの最大の武器は鉄壁な守備陣にある。クロアチアから得点を奪うことは難しいし、ディフェンスはコンクリートのようだ。それが結果のベースとなっている。しかしその他の全てのベースはプルショとスルナの個人技によるもの。個々のボールキープは長すぎるし、プレーには流れがない。クロアチアで最もコレクティブな選手であるクラスニッチが苦しむ理由はまさにそこにある。しかし誰もクラスニッチに続こうとしない。

オーストラリア人に何をしなければならないか語る必要はないだろう。オーストラリアのサッカーをするのか本当のサッカーをするのかは判らないとはいえ、またプレーは無骨に見えるとはいえ、彼らは非常に危険な存在だ。多くはイングランドでプレーしているからね。日本には劣勢の立場の方が力を発揮するだろう。プレーに関していえばブラジルのスタイルにもっとも近い。それはブラジルのコーチ陣の大きな影響があった結果だ。とはいえ、最高の教師達がいるが一つのことだけを学ぶことができない。彼らのうち誰も責任を引き受けたがらないことだ。

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2006年2月25日 (土)

宮本のディナモ移籍話の真実とは?

日ごろニュースを追われている方は、日本の幾つかのスポーツ紙が「ディナモ・ザグレブが宮本獲りへ」と報道しているのをご存知でしょう。実はこれにはウラがあります。以前に"記事は一人歩きする"という話を書きましたが(その1その2)、今回は新たなパターンでありますので真実をお伝えしましょう。

P1010157 ことの発端は2月21日です。テレビの取材コーディネートの仕事で私はディナモ・ザグレブのスタジアム隣接の事務所を訪れました。ある選手のインタビューをするために事務所のカフェで待っていたところ、ディナモの実権を握るズドラヴコ・マミッチ副会長とスポルツケ・ノヴォスティ紙のオリヴァーリ記者が前節の疑惑のPKに関して話し合っていました。マミッチ氏とは4年前の取材から面識があり、私を見つけるやいなや笑顔で「宮本を獲得するとどうなるかい?」と聞いてきました。
2月7日にアンタルヤでジェフユナイテッド千葉とディナモ・ザグレブが練習試合で対戦した夜、マミッチ氏とイヴィツァ・オシムとヨシップ・クジェの両監督が同席。二人は日本代表のキャプテンである宮本の実力の高さを副会長に説明し、ディナモが関心を示したのは2月11日のブログでも紹介しています。
私はマミッチ氏に「きっと移籍金は高いですよ。でも宮本を獲得したらファンの日本女性がいっぱい来るだろうし、ユニフォームは売れるでしょうね」と返事をしておきました。マミッチ氏は「クロアチア語が判るお前も一緒に加わって、このビジネスを成功させようか」なんて冗談っぽい口調で肩を叩いて去っていきました。
この遣り取りを聞いていたオリヴァーリ記者は翌日の22日のスポルツケ・ノヴォスティ紙に「ディナモが宮本を狙っている」との記事(写真)を書きます。私たちが事務所を去った時に、マミッチ氏は記者に対して「宮本は私たちのヨシップ・クジェが開花させた。素晴らしいサッカー選手であると聞いている。移籍期間の夏に彼を獲得する可能性はある。ヨーロッパに行きたがっているからね」と語ったなんて記事が掲載されました。またその中では「日本のジャーナリストが"宮本獲得は素晴らしい考えだ。彼の選手のクオリティだけでなく、サッカー狂の日本人達が多くクロアチアを訪れ、マーケティング面でも観光面でもいいだろう"と言った」と膨らまされて書かれてしまいました....。その記事をある日本のスポーツ紙のクロアチア通信員が翻訳し、日本でも報道されることとなりました。

更に続きます。23日のスポルツケ・ノヴォスティ紙は宮本獲得に関して、ガンバの元チームメートのFWニーノ・ブーレのインタビューを掲載しました。
「日本人獲得に関してはいつもマーケティング面の話は出てくる。もちろんディナモでの宮本もそうだろう。日本人がスタジアムに訪れ、彼の名前の入ったユニフォームがたくさん売れるはずだ。しかし宮本はマーケティング・ブランドだけに終わらない。彼は本当に素晴らしいティフェンダーだ。何年間も日本代表のキャプテンを務めているのは偶然ではないからね。また彼は素晴らしい青年だし、本当の友人だ。ガンバで初起用したクゼ監督も彼のクオリティは良く知っている。」
とコメント。これも今度は別の日本のスポーツ紙のクロアチア通信員が記事だけ読んで翻訳し、また日本で報道されてしまいます。

ことは更にエスカレート。24日のスポルツケ・ノヴォスティ紙は宮本本人に英語で電話インタビューに成功します。ワールドカップ抽選会後に、ブーレから電話番号を聞いた同紙のダソヴィッチ記者が彼に質問をしました。
「インターネットでその記事(ディナモが獲得の意向)を読んだよ。驚いたかって? いや。誰がディナモの監督か知っているしね。ヨシップ・クジェは私のことを良く知っているから....。
私にとっては可能な話だよ。なぜならヨーロッパに行きたいからね。しかしガンバとはまだ一年の契約が残っているし、両クラブが話し合わなければならない。私に関していえば喜んでディナモに行くよ。ディナモについては少しか知らないが、クロアチアで最高のクラブだとみている。また私がディナモで最初の日本人でないことは知っている。なぜなら三浦知良選手がいたからね。」
との記事が掲載されました。これもどこかの通信員が事情を知らずに翻訳して日本で報道されるかは今日のスポーツ紙を開いて下さい。ガンバ側はインタビューの存在を否定したようですけど、クロアチアでは選手への電話インタビューはよくあることです。

ちなみに25日のスポルツケ・ノヴォスティ紙には宮本の記事は掲載されていませんでした。クロアチアでの記事の一人歩きはここでストップ。果たして宮本は本当にディナモに来るのでしょうか???

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2006年1月 2日 (月)

"侍" トミスラフ・マリッチ

新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

(写真はflexiblogより)
20050101_maric_14 新年最初のサッカーといえば「天皇杯」。
元クロアチア代表FWのトミスラフ・マリッチ(写真)の全試合得点もあって、浦和レッズが見事な優勝を果たしました。契約延長がないにもかかわらず、浦和への愛を強調し、ゴールを決め続けた"サムライ"ことマリッチに感服します。ここ数年の彼は怪我や病気でキャリアとしては恵まれなかっただけに、天皇杯優勝はサポーターだけでなく彼にも深く刻まれたことでしょう。精神面における彼の凄みは怪我の前から知ってはいれど、ここまで"漢"だったとは驚きでした。もしかしたら今年月末のカールスバーグ・カップでクロアチア代表復帰、なんてこともありえるでしょうね。

なかなかクロアチアにはマリッチの活躍ぶりが伝わらず、彼の浦和移籍すらも入団会見から一週間近く経っても報道されませんでした。私がクロアチアのSport-net記事に書いて、ようやくクロアチアの他のメディアも追随するようになったほどです。天皇では準決勝の記事に続き、決勝の記事もSport-netでアップされました(選手名などはあちらの編集段階で誤植が生まれましたけど....)。

写真はたまもさんのflexiblogから協力させて頂きました。たまもさんの写真はSport-net編集部でも評判が高く、当サイトのフォトギャラリーにも決勝の模様が15枚アップされています。写真協力、有難うございました。

クロアチア本土、そして世界に散らばるクロアチア人にどれだけ浦和サポーターからマリッチが愛されたか、また浦和サポーターの熱さが彼らに伝わるならば嬉しいですね。

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